さんぽに行きましょう

スイスに住む 犬のつれづれ日記

子育て 犬育て

私は、さんぽが大好きです。

晴れの日はもちろん、雨の日も、風の日も、雪の日も。

 

犬なら何を当たり前のことを、とお思いになられるかもしれませんが

さんぽが嫌いな犬もいるんです。

スキーが嫌いなスイス人もいますし(知り合いがそう)

温泉嫌いの日本人もいます(たぶん)。

犬の世界も同じで「一般論」に当てはまらない個性、あります。

 

今日は久々に晴れまして、森の中で朝の散歩をのびのび楽しんでまいりました。

スイスは秋から冬になるまで、どんより曇り空や雨の日が多いので

ママは日本の秋晴れの空や美しい紅葉の風景が恋しいようです。

 

 

散歩道ですれ違ったスウェディッシュ・ヴァルフントのマッティくん。

濡れるのが嫌いなので、連日続く雨の間、ずっと家に引きこもっていたとのこと。

最近鬱気味だ、と元気ない感じに挨拶してくれました。気の毒に。

雨が続くと、犬のさんぽ事情は何かと複雑化してしまうようです。

確かに雨の日は、私の体を拭いてくださるパパとママ、顔に出ている疲労度が高い気はします。なんでだろう?ま、私には関係ないことですが。

 

久しぶりに少し乾いた土の上を歩いていましたら、やはり嗅覚が刺激され、私、ここほれワンワンスイッチが入りまして。

 

わたくしめ、雨の日は、モップが泥パックしたようなひどい状態になるそうで、掘り作業は絶対禁止とされておりますが、今日はまあ、これくらいならいいか、とママから許可をいただき、納得するまで掘らせていただきました。

 

・・・結果、モップ泥パックとまではいかなかったものの

次男坊ちゃんが、きな粉餅を食べている時に思わず吹き出し、周囲がきな粉まみれになった時くらい、ママが嫌な顔をしておりました。

そして、今日もトリュフ採掘ならず。面目ない。

 

そんな次男坊ちゃんのことを考えていたら、ふと我が家には、坊ちゃんたち(人間)の育てられ方と、私(犬)の育てられ方に違いはあるのか?と疑問が湧いてまいりました。

 

うろ覚えではありますが、パパとママのお二人は、今トレンドの「お仕置きなしの褒めてしつける犬育て」をベースにした子犬育児本を何冊も読まれておりました。

 

思い返せば、私は赤ちゃんの頃、部屋の中で粗相してしまっても一度も怒られたことがありませんでした。

それどころか、庭で用を足すと、ものすごく褒められた上、おやつまでもらえることもありました。

ことあるごとに、お利口だね、すごいね、モカチーノ!と褒め倒され

たくさん撫でられ、ご褒美のおやつもたくさんもらって育てられてきました。

 

私を連れて通っていたドッグスクールでもパパとママ、「体罰は絶対ダメ!罰を与えるのではなく事前に犬の問題行動を予測して防ぎ、褒めれる行動に導きましょう。」と再三言われていたのを記憶しております。

 

真面目なお二人は、赤ちゃんの私をその通りに育ててくださったのでしょう。ただ、それは、決して容易な行程ではなかったようです。

 

問題行動を事前に防ぐ、ということは、私を一日中ずっと観察していなければなりません。

それは、多大な時間とエネルギーを費やす、途方も無い努力が必要だったようです。

ある日、疲労困憊したママが

「こんなん、人間の赤ちゃんの子育てと変わらんやん・・・

いや、なんとなく想像できる分、人間の赤ちゃんの方がマシや・・・」

と、力なくぼやいている姿を私、申し訳ないような、それでいて、一体自分の何が悪いのか分からず、なんとも居た堪れない気持ちで見ていたのを思い出します。

 

ただ、時折うちに遊びに来られる

白髪の上品なご夫婦(最近、パパのご両親と分かりました)は

「トレンドなんだろうけれど、今の犬のしつけ方は変だよ。私たちの時代はね・・・」

と、事あるごとにに彼らの経験した昔の犬育ての有効性をパパとママに力説しておられました。

 

パパとママ、彼らの言葉を聞くたびに、うーん、と眉間に皺を寄せて

「昔のお仕置き教育って今は禁止傾向にあるしね」「でも、確かに褒めるだけではダメだよね」

などなど、私の育て方に関して、よく議論しておりました。

 

この様子を見ていていますと、坊ちゃんたちの育て方で議論されているお二人の姿と重なる部分がある気がいたしました。

 

私は配偶者も子もおらぬ1歳そこそこの若輩者ではありますが、人間の説く子育て論、犬育て論には根底に共通点がある、と感じております。

それは・・・

それぞれの国、文化によっても、違いがある上、さらには、時代が作り出したトレンドによってもこれまで良しとされていたものが、悪しに変わってしまうという、なんとも拠り所のない、危うさがあるところです。

 

時代の流れによって変えられたものが、私たちの成長にとって、本当に正しいのかどうか、ということは、時間が経たないと分かりません。

いや、正しいかどうかなんて、そもそもみんなが納得する答えはないのでしょう。

でも・・・

さまざまな価値観を主張する情報が溢れる今の時代。そのいろいろが、どうも自分には定着せずにどこに立っていたらいいのか分からなくなったときには、これが正しいと思える足場が欲しくなる、というのが人間の正直なところではないでしょうか。ま、私は人間ではないので、よく分からないのですけどね。

 

子育て論、犬育て論。

近年はネットを見れば、ありとあらゆるお役立ち情報が手に入ります。

確かに、知って良かった情報もたくさんあるものの、全く逆のことを言っている情報を目にした時などは(しかも、憎いことにどちらもそこそこに信憑性がある場合)調べても調べても拉致の開かない「どっちやねん!」ラビリンスに入り込み、とても不毛なリサーチ時間を過ごすことになります。

結局、自分の勘が選択したやり方を正当化するしてくれる情報を(無意識のつもりで意識的に)探し当て、「うん、やっぱりね、やっぱりこれでいい。」と自分を納得させる始末。

ほんとにいいのかどうかは知りませんが、ご本人が納得されたならば、そりゃ結構。

 

パパとママ、こんな風に、加速する時代の流れと氾濫する情報の中、ときに翻弄されながらも、私たちがハッピーで居られるようにと、お二人で試行錯誤を繰り返していらっしゃるようです。

どうにかこうにかご自分達の立ち位置をその都度確認しながら。

坊ちゃん二人と私の「一般論」におさまらない個性をも認めながら

(望ましいものも、望ましくないものも)。

 

あ、でも、坊ちゃんたちの子育てとは違う難しさが私にはあると思いますよ。だってお二人は、ご自分達の経験を私に照らし合わせることができないですからね。

 

お二人は、テーブルの上にあるものはきちんと食べなさい、と教えられてきたことでしょう。坊ちゃんたちにもその通り教えればいいんです。

本を読まなくても、ネットを見なくても、自然にわかります。

 

それを私にだけは、食べるな、と教えなければならない。「ダメ!」と言っても、どうにもこうにも聞かない私。どう教えるのが効果的かといろんな方法を試みている努力、我が家のみなさんに見られるのですが

うーん・・・まだ分かっていらっしゃらないようですね。

みなさん、詰めが甘い。私、まだまだいけそうです。

 

そんな訳で、今日も私はテーブルの上に置かれたご馳走を

虎視眈々と狙っているのであります。