さんぽに行きましょう

スイスに住む 犬のつれづれ日記

過去の置き場所

今朝はスッキリしない曇り空。

それでもさんぽに行ければ、私はご機嫌です。

 

川にジャブンと飛び込み、流れゆく木の枝を追ってガブっと捕まえ、地上に咥えて上がることに最近ハマっております。

私がどこにいるかわかりますか?ここは流れがきつくて、多少危険。

 

私一見、自由奔放なようでいて、割と慎重なところもありまして、危険を察するとちょっと腰が引けます。特に散歩中、ご主人様たちの姿が見えなくなると、非常に不安になります。今日も・・・

 

この川、ちょっと怖いな。あれ?そういや、ママどこ!?

 

とパニックになりかけたところ、ママが「モカチーノ、おいで!」と橋の向こう側から声をかけてくださいました。

 

ああ、良かった!今、参ります!

 

私にとってはそんな相変わらずの朝でしたが、ママはなんだか物思いに耽っていらっしゃるようでした。

 

ママの様子が変になったのは、今朝、学校に行く準備をしながら次男坊ちゃんが目を輝かせて、ママに何やら色々質問してからのことです。

 

どうやら、次男坊ちゃんは、ママが封印しようとしていた若かりし頃の思い出を掘り起こしてきたようです。

 

次男坊ちゃんの同級生たちの間で今、かつて一世風靡した昭和の伝説的アニメが話題になっているそうで。その大昔、映画の世界と関わりのあったママは、いろんな偶然が重なり、そのアニメの某大物監督と個人的にやり取りさせていただいた時期があったらしいのです。

 

次男坊ちゃん、その監督と自分のママがお友達だった(畏れ多すぎるこの括り・・・次男坊ちゃんの理解ではそうなる)、ということを同級生のお友達に自慢したいものの、絶対信じてもらえないからその証拠を彼らに見せて欲しい!と、ママにお願いしていたのでした。

 

まあ、それはええけど・・・と言いながら、その監督と一緒に撮った写真を見つけたママ。ただ単純に懐かしんでいるのではない、複雑な表情でその写真を眺めていました。

 

写真に写っていたのは、ママが「ママ」になる前の世界。

 

いつまでもどこかで繋がっていると思っていたママ前とママ後の世界だったのに、ふと振り返ってみると、長い月日は気付かぬうちにこの二つの世界を隔てしまっていたのだと感じる出来事がここ数年続いていたのでした。

 

ママはフランス語圏に引っ越してからこの2年半、子育て犬育てでわちゃわちゃしながらも何とかフランス語学校に通い続けられました。

 

クラスメイト達は、オランダ、ブラジル、ブルガリアアメリカ、ロシア、キューバ、スペイン・・・などなど書き出すと数行使ってしまうほどの世界各国から集まってきていて、その年齢層も、20代前半〜60代と幅広かったようです。

 

ママは20代の子達ともすっかり打ち解けて、彼や彼女らをちょっと歳の離れた弟や妹のような存在に感じながら会話をいつも楽しまれていたそうです。

 

ある日、話題はママの若い頃の話になり、何を勉強していたか、どんな職業についていたか、についてみんなで話すことがありました。

 

ちょっと特異な研究分野の話や、一見華やかそうな業界にチラリと身をおいたことのあるママの過去を聞いた20代の子達が「クール!」と目を輝かせていろいろ聞いてきてくれました。

 

でも、ママはその時、嬉しい気持ちと同時に、妙な違和感を覚えたそうです。

なんだか、他人の人生を語っているようで。

決して嘘ではないのだけれど、興味津々に聞いてきてくれている若者たちを騙しているような気さえしてきました。

なぜなら、今のママはその自分の過去とは全く関係ない生活を送っているから。

 

それからまた後日のこと。

何故かママに懐いてくれる20代前半クラスメイト、スウェーデンの金髪美人さんが、話の流れで親しみを込めてママにこう言ったそうです。

 

「あなたのことは、スイスの母と思って頼らせてもらうね!」

 

ママはそれを聞いて一瞬笑顔が引き攣ったそうです。

 

・・・はい?この子は今、私に何と言った?母?いくらなんでもそこまでは歳取ってないわい!と。

 

ひとまず一呼吸置き、気を取り直して、頭の中で冷静に年齢差を計算してみましたところ、その答えは。

 

「彼女は決して間違ってはいない。確かに私は彼女の母であり得る年齢である。」

 

彼女はママにとって、ちょっと歳の離れた妹でした。

でも、彼女にとってママは、ちょっと若めのお母さん、だった?

いやもしかすると、普通にお母さん、だった?のです。

さすがにこの日は、ご自分の年齢への無自覚さに呆然とし、軽く落ち込まれたそうです。

 

この十数年、引っ越しする先々で、ママは何度も自己紹介を繰り返されてきました。

その都度、今の自分と繋げて紹介することのできていた過去の自分の貯蓄。しかし、ここ数年の間に、実はその貯蓄も有効期限切れしてしまっているという現実に気付かされてきたそうです。時折不意に受けるこの種のジャブによって。

 

それからは、これ以上痛いおばさんにならないよう、ご自分なりに、現在と過去の自分に線引きされるようになったそうです。

似合わなくなった過去の自分らしさへの呪縛から解放され、今の自分に似合う「らしさ」を見つけて生きていこう、と。

 

そうやって開き直られたママ。最近では、今までとは違う人生の楽しみ方を見つけられたようにお見受けしたのですが・・・ 

今朝の次男坊ちゃんのお願いを聞いてからの複雑な表情からすると、また、過去のご自分と向き合われることになったのでしょう。

 

常に今を生きる犬の私は、人間の皆様のように細かい過去の事象を記憶することはできません。

でも、過去の「感覚」は残っています。

産んでくれたママ犬や一緒に戯れあった兄妹たちの匂いや声。

まだ赤ちゃんだった頃、ふんわりとくるまってくれていた毛布の香りや肌ざわり。

 

普段は全く忘れているようでも、何かのきっかけでふと思い出すそんな感覚。犬の私にもあるんです。

それはやはり、私の犬生において大切なものだったからと思うのです。

 

だからママも、いいんじゃないでしょうか。

その過去は人生においてとても大切なものだったのだ、と優しく認めてあげても。 

 

無理にご自分の過去と現在を繋げようとしたり、切り離そうとしなくても、そっと、ふわっと、心のどこかにおいて置かれたらよろしいかと。

 

その過去は、これからご自分の人生に直接つながることがなくても 

今朝、次男坊ちゃんが掘り起こしてきてくれたようにいつか、大切な坊ちゃん達や、周囲の仲間の人生に何らかの楽しい影響を与えることがあるかも知れません。

 

追われる日常の中で、ふと失ってしまったものに気持ちが囚われる日があるのも分かります。

でも今一度、この目の前の世界を眺めてみてください。案外、まだ変わらず残っているものや、今のご自分にしかない大切なものも沢山おありでしょう。

 

例えばほら、目の前にいる、私、モカチーノ!

 

さあ、このうるうると濡れた瞳で「あなたが大好き」と訴えかける私を抱きしめ、今のご自分の幸福を噛み締めてください。

そして、どうか、私の温もりを感じながらも、しばし日常をお忘れになり、大切な過去の思い出に浸ってくださいませ・・・

 

・・・と、申し上げた側から、ちょっとすみません。

 

このうるうる瞳に問題発生。実は先ほどから、右目の涙が止まらないのです。

結膜炎ですかね、これ?念のため、今日中に獣医に連れて行って頂きたいのです。

 

夕方の長男坊ちゃんの柔道の送り迎えまでには診ていただきたいので

お手数ですが、今すぐ、獣医さんに予約のお電話かけていただけますか?

右目のうるうるが止まらない・・・

 

先ほどはちょっと格好つけて、物分かりの良い犬のふりをしてしまいましたが

結局のところ、私に必要なのは、助けてほしい時には何を置いても駆けつけてくれる今のママ、なのです。

 

全世界のお母さんお父さん方。

毎日、お疲れ様です。