もう4月末だというのに、先週から冬に逆戻りしてしまいました。
朝方は2、3度。雪がちらつく日もあります。
3週間前は27度、と夏の気温だったのに・・・。
日本でいう春先の「三寒四温」ー などと、ちょいと風情な言葉ではとても表現できないこの寒暖差。
そんなスイスでは3月末から4月頭にかけてイースター休暇でした。
我が家の皆さんは、イタリアのミラノ・ローマ旅行を楽しまれたようです。
その間、私はパパ側のおじい様とおばあ様のお家に預けられておりました。
気難しいボス老猫スノッブ氏のいる館でしたが、この私の温和な性格で、彼の警戒心も解きほぐすことに難なく成功し、犬猫の幸せな共存世界を実現。
とても充実した時間となりました。
スノッブ氏との共同生活を終えて我が家に帰った後、休暇中にパパが撮った数々のローマの写真を見せていただきました。
迫力ありますね。
澄んだ爽やかな空気の中、アルプスやレマン湖ばかり眺めて平和に呆けている犬にとっては、人間の作り出したこの歴史の厚みがもたらす抒情的ともいえるエネルギーには、圧倒されるものがあります。
数々の血生臭い物語を下敷きに積み上げられてきた人間の歴史の痕跡。
ローマは、皇帝〜ファシズムという人間の「権力」と建築の持つ力の関係性を考えさせられる街ですね。
ローマが与えてくれる感動はスイスの雄大な自然の中で感じるものとは全く別物ではあるのですが、不思議なことに、どちらの感動も、自分という存在が、壮大な歴史の中や宇宙の中に消え入ってしまうような、それでいて自分が丸ごと受け入れられるような、畏れ多い感覚を呼び起こすところは同じである気がします。
そして私、ふと思いました。
今の人間達が築いているもので、ローマの遺跡のように約2000年先の後世にまで残っていくものはあるのでしょうか?
正直、パッと思いつきませんけれど・・・。
今は何かにつけて、厚みよりも、薄さやコンパクトさが大事とされるようですから、これからは、もっとスマートにデータ化された何かが残っていくのですかね。
そして何かの拍子に間違ってほとんど消えちゃったりして。
いやいや、実は今、私たちが何を残せるか、より、いかに要らないゴミを残さないようにするか、が問題ですかね?
なんだか、寂しい気もするけれど・・・そんなものかもしれませんね。
だって、我々地球上の生命体が現れる前、
そしていつか来るであろう我々が消えた後の悠久の時を思えば、
人類の歴史やら犬の歴史やらの厚み云々を語ったところで、たかが知れた刹那的なものです。
そもそも後世に何かを残さなければと思うこと自体、ちっぽけな生き物のエゴイスティックな欲求なのかもしれません。
・・・とは言うものの、これからの未来を担う坊ちゃん達を見ていると、人類、犬類の歴史もできるだけ長く続いて欲しい、そして後世に繋がっていくものあって欲しいような、どこまでも割り切れない私がいます。
ああ、いけない。
これ以上私の無い頭で考えると、自我と無我の無限ループに入り込んでいってしまう。
それより、クンクン。
先ほどからいい匂いがしています。
今日の我が家の夕ご飯は、ママの手打ちきつねうどんです。
私は食べさせてもらえませんけれど・・・
詰まるところ・・・
我腹減る、故に我あり。