さんぽに行きましょう

スイスに住む 犬のつれづれ日記

多様性の白黒

今日は雨。

しかも3月末なのに4度という寒さ。

先ほどはみぞれらしきものまで降っていました。

 

こんな日は、さすがの私もちょっとテンション下がって眠くなります・・・。

 

抱っこされてもウトウト・・・

 

ソファに座ってもウトウト・・・

 

そんなぼんやり頭のまま、人間の皆さんの会話を聞いておりましたら

最近、どうも腑に落ちないことが続いているようで。

私なりにそれぞれの会話のパズルのピースを集めて、全体を眺めてみましたら

なんとなく見えてきたのは「多様性」という言葉でした。

 

・・・はて、「多様性」ってなんですか?

 

例えばそれは、

私は白茶色の毛だけど、ナブックくんは真っ黒。

私はクルクル天パだけど、ココちゃんはストレートヘアー。

みんなそれぞれ違うけど、それぞれ素敵だね・・・とか?

 

うーん、それとも、

私は散歩が好きだけど、シロくんは散歩が嫌い。

犬なのに散歩好きじゃないって変だよ、なんて言わずにシロくんの好みを認めてあげましょう・・・とか?

 

もしくは、こんなこと?

私は散歩中、片足を上げて、用を足すことがあります。

それを見ると人間の皆さんに「モカチーノ、メスなのにねー」と、笑われます。

私には何がおかしいのかさっぱりわかりませんが、

おそらく皆さんの認識では、メス犬は片足をあげてトイレすることはない、

ということなのでしょう。

でも、人間社会の勝手な基準に合わせて、私がトイレの姿勢を変える必要はないので、今でも堂々と片足をあげさせていただいております・・・とか?

 

うーん、考えても犬の私には分かりません。

いやむしろ、考えれば考えるほど、分からなくなってきました。

 

人間の皆さんだって、「多様性」と、何となく共通の認識で理解しているつもりかもしれませんが、その言葉が意味することって、実はそれぞれの国や地域の社会背景、世代、ひいては個人の経験によっても、異なっている・・・そんな気がしませんか?

 

例えばスイスの学校に通う坊ちゃん世代の子供達は、「人種差別」に対して非常に敏感です。

 

会話の中で「あー!それ、人種差別。言っちゃいけないんだー!」と坊ちゃん達がパパママに注意することがあります。

 

パパママにとっては、全くそんな意識はなかったので驚いて、坊ちゃん達に

何で今のが人種差別になるの?

と聞くのですが、その理由はなんとも曖昧なような、極端すぎるような・・・。

 

そういえば、長男坊ちゃんの学年でも、ある先生から生徒へ人種差別の言動があったと、生徒達が集まって学校側にその先生を非難する報告を出したことがありました。

ただ、この出来事は腑に落ちない点がたくさんありました。

 

差別を受けた被害者と騒がれている生徒本人に、差別された自覚がなかったこと。

先生自身は、人道主義である自分に全くそのような意図があるわけがない、非難されて心外だ、と保身からくる攻撃姿勢に入ってしまった。

結果、先生が生徒達に「今度このような不当な非難をするなら、こちらにも訴える手段がある」と、半ば脅す形で、皆にわだかまりを残したまま、解決されることなくうやむやに終わってしまったのです。

 

なんだか、全てがおかしい気がいたしました。

これによって、子ども達が何を学んだのでしょう。

 

本当に人種差別の意図があったかもしれないし、なかったかもしれない。

本人の意図に関係なく、それが人種差別に当たる言動だったかもしれないし、でなかったかもしれない。

 

学校という教育の場でこのようなグレーゾーンの出来事が起こった場合、双方の正当性を主張して攻撃し合い、やった、やられた、謝罪する、謝罪しない、という二元的な結論に導くのではなく、一度落ち着いて、皆で人種差別とは一体何なのか、を話し合うべきだったのではないか、と思うのですが・・・。

 

このような人種差別に限らず、多様性という言葉が包括する、あれやこれやのグレーゾーンの中、近頃、それぞれが白か黒かを主張する言い争いが増えてきている気がします。

 

本来「多様性」が目指すところは、個人の違いを認め合い、尊重し合うことで、誰もが生きやすい社会を作り出すこと・・・だと思われるのですが、その曖昧な「多様性」という言葉のもとに、他者に対して瞬発的に攻撃的な姿勢をとる動きが増えてきているのは、なんとも皮肉な動きに感じられます。

 

ママのご友人は、今この社会に起こっている現象は、ユング派の心理学用語で「エナンティオドロミア」ーすなわち、逆転、反転であると思う、とおっしゃられています。

これは中国の陰陽思想に近く、状況は極端になると反転する、ということだそうです。

 

そのご友人曰く、自分はLGBTQとカテゴリーされる人間だけれども、LGBTQの権利を強く主張する人たちが、必ずしもいつも自分の気持ちを代弁してくれているわけではない、と。

 

誰かの「多様性を尊重していない」と思われる言動に対して一触即発、炎上。

・・・ではなくて、その言動の本質を理解するための対話、につなげていくような動きが大切なのだと思うのですけれど・・・

 

そうすれば、実は白と思っていたら黒だった。黒と思っていたら白だった。

そんなこともあるかもしれない。

自分たち自身のことすら、よく分からなくなることもあるかもしれない。

結局、答えは出ないかもしれない。

でも、それでいいんじゃないですかね。

 

詰まるところ、自分自身だって白にも黒にもなり得る危うい存在である、という謙虚な気づきがあってこそ、本当の意味で他者の多様性を尊重することにつながる気がいたします。

 

ま、こんなのは、傍観者である犬の理想論にすぎないのでしょうけれど。

 

そんなこんなを考えているうちに、雨が止みました。

 

 

雨あがりのさんぽ道で、牛さんの群れに出会いました。

スイスの牛さんって、茶色とクリーム色が多いです。

 

日本だと、白黒の牛さんがマジョリティーで、茶色やクリーム色はマイノリティー

と思っていますが、これは牛乳石鹸のパッケージイメージからの偏見でしょうか。

 

何色がマジョリティーであろうが、マイノリティーであろうが、

私は個人的に茶色の牛さんが好きです。

 

白黒の牛さんが好きな犬もいれば、

私のように茶色の牛さんが好きな犬もいる。

 

それじゃ、ダメですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加速するジェネレーションギャップ

まだ少し肌寒い先週の日曜日。

私の姉妹であるアスカと数ヶ月ぶりに再会いたしました。

 

どちらが姉だか妹だかは分かりませんが、まあ、そんなことはどうでもよろしいでしょう。

同じ日に同じ母のお腹から生まれた私達です。

どちらが私かお分かりになりますか?

私たちラゴットは、スーパーアクティブ。

2匹が揃うと「おさんぽ」などと、ひらがなほっこりレベルの外出ではおさまるわけがない。

 

ほぼ2時間ノンストップのレースでした。

捕まえれるもんなら捕まえてみなさい!!あら、あんた案外やるわね?

足の速さでは近所の誰にも負けない自信のある私ですが、この日はアスカに勝を譲ることになりました。さすが我が姉妹、侮れぬ。

 

やはり姉妹はよく似ますね。

でも、性格は違うんです。

私はおっとりマイペース型。滅多なことで怒りません。

あ、考えてみたら生まれてこの方、怒った記憶がありません。

でもアスカは、ちょっと怒りん坊さんです。

 

うちの坊ちゃんお二人を見ていても、確かに、どこかは似てるけど、どこかは全然似ていません。

あと、年を取るにつれて、似てなかった親子が似てきたりもしますよね。似たくないと思っている部分ほど似てしまったり。

血のつながり、家族って不思議です。

 

理想主義の我が家では、異色の存在ともいえる現実主義の長男坊ちゃん。その冷静な観察眼で、先日こんなことをおっしゃっていました。

 

「俺、おっさんみたいなことを言うけど、最近の小さい子はマジでヤバいと思う。画面を見てる時間が半端ない。W君の6歳くらいの弟、制限なしで動画見放題、ゲームやり放題。W君も、弟のことが心配だと。シンプルなことは言えても、細かい説明や感情を言葉に表せないらしい。俺らが6歳の頃は、もっとデジタル使用制限があったよなって話してた。」

 

・・・それ、長男坊ちゃんが言いますか?

と、ちょっと可笑しさを堪えながら横で聞いておりましたが、でも、確かにこれは面白い?怖い?現代の現象として捉えることができる、と私は思うのであります。

 

と言いますのは、最近こんなこともあったのです。

 

ある日、ママのフランス語レッスンにて。

現在の学校教育についてディスカッションがありました。

 

一人のブルガリア人のお母さん、8歳の息子がネットで勝手にいろんなことを自分で学んでしまって、もう学校で学ぶものはないから行きたくないと言って困る、との経験談を語られました。

 

それを聞いた20歳のスペイン人のOちゃんが、「なーにー!?」と奇声を発し、声高にこう反応しました。

 

「何それ?おかしくない?怖くない?私が8歳の頃は、友達と遊んでばっかりで、何を分かってるか分かってないかさえも分かってない子供だったわ!」

 

クラスに居た、ママを含む中年層のお父さん・お母さん世代の方々、Oちゃんの驚きに無言で静かに頷いていました。心の中ではきっと皆さんこう思っていたでしょう。

 

ーそう、その通り。そして、そうあって欲しい。

 

でも現実は、もやはそんな牧歌的風景が存在しないことを知ってしまっているパパママ世代。ティーンエイジャーのお子さんを持つフランス語の先生が、Oちゃんを制するように静かに答えられました。

 

「そう、びっくりでしょう。でも、本当に最近の子は早いのよ・・・。」

 

Oちゃんはそれでも納得できない様子で、ありえない、おかしい、と何度も呟いていたそうです。

 

それにしても、Oちゃんのような若い子にも、パパママ世代のように今の小学生の動向が理解できないなんて、新鮮な驚きでした。

多くの中高年の方々は、近頃の若い子は・・・と一括りにしがちですが、「若い世代」にもいろいろ段階があるのですね。

 

犬の私見ではありますが、その「若い世代」の中での段階も、近年のデジタル技術の発達や普及具合によって、加速的に細分化されているように思えるのです。

 

なにせまだ20歳のOちゃんが、もうすでに今の小学生に大きなジェネレーションギャップを感じているのですから。

それに加えて、先日、中学生の長男坊ちゃんがポロッと吐かれた6歳児への危惧。その差はたった6、7年。一体何が起こっているのでしょう。

コロナ禍以降、急激なデジタル化の波に、人間達は自分で思っている以上に飲み込まれていっているのかもしれません。

 

そこに来て、Oちゃんの、パパママ世代のような古風な反応は非常に興味深い。

近年、しばしばX世代、Y世代、Z世代、アルファ世代・・・という区分をベースに各世代の特徴分析がなされますが、Oちゃん曰く、20歳の自分はホニャララ世代(Oちゃん自身、名称を忘れてしまったので調べようがない!)と呼ばれる、これらの区分から漏れて隙間に落ち込んでしまっている年齢層だそうです。

 

ざっくり説明させていただきますと、Oちゃん達は、デジタルネイティヴのZ世代であるものの、その中でも、Facebookの隆盛期が過ぎてしまった、かつ、Tiktokがまだ流行っていない時代に育ち、どちらのブームにものれなかった層であるらしいです。

 

確かに、Oちゃんと同じ年頃の23歳のスペイン人M君も、不思議なことにママの価値観と似ているのです。OちゃんもMくんも、本気読書は紙派。Mくんはさらに、人気取りのために24時間ネット漬けになるYouTuberなぞなりたくもない、堅実に働いて会社に勤める方がよっぽどかいいさと言い切り、しっかり銀行勤めしておられます。

 

OちゃんとMくんは、デジタルツールを使いこなし、デジタル化社会へのオープンさもありながら、同時にパパママ世代の価値観も持ち合わせているのです。そして彼らの情報選択能力の高さ、フットワークの軽さ、批判的思考でもって自分の意見をしっかり形作っているところなどは、パパママ世代には無い何か突き抜けたものがあり、感心してしまいます。

 

私の周囲に見られる大多数の中高年の方達の傾向としては、加速するデジタル化の渦に巻き込まれ、よく分からないうちに時代の流れに迎合しようとしたり、逆によく分からないから悪だと決めつけむやみに否定してみたり。そしてその混乱の中で、何を血迷ったか、百害あっても一利ないような試みや判断をしてしまうことが多々ある気がいたします。

 

今、この世代の主導で人間社会が回っていっているのかと思うと、非常に心許ない。私は犬で良かった、とつくづく思います。

 

しかしながら、OちゃんやMくんのようなホニャララ世代に当たる若者の話を聞いていると、人間社会もまだ捨てたもんじゃない、と希望を見出せる気がいたします。

 

学校教育の話になると、どうも発展性のない話ばかりになりがちなパパママ世代のクラスメイトたちは、ホニャララ世代の若者達に「未来は君たちに託した!」と言い、M君の背中をボンっと叩いておりました。

 

次のアルファ世代に当たる坊ちゃん達になると、まだ未知数でありますが、画面漬けになってている幼稚園児の姿を危惧するような問題意識が彼らにも生まれているということは、やはり、パパママ世代の価値観も、全てが無に帰した訳ではなく、次の世代にも種として撒かれている、という証であると思います。

(それにしてもこの展開の早すぎるジェネレーションギャップはちょっと不気味ではありますけど。)

 

今すぐには分からなくても、10年先20年先にそれなりのものが咲くのだと思いますから、やはり、パパママ世代は、子供達の中に撒かれた種がその子らしいきれいな花を咲かせることを信じて、しんどくてもまだ踏ん張らねばならないでしょう。

 

ま、私はとりあえず、これからOちゃんM君のホニャララ世代に期待します。

そして、坊ちゃん達の世代も、今後どんな時代になろうとも、批判的思考を培うことだけは怠らず、ご自身が信じる道を選択し、たくましく生き抜いていっていただきたい所存です。

 

それにしても、ホニャララ世代、って正式名称、何なんでしょうね。

私の優れた嗅覚でもっても、探し当てれませんでした。

 

          ネットサーチには嗅覚が効きませんでした・・・とほほ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過去の置き場所

今朝はスッキリしない曇り空。

それでもさんぽに行ければ、私はご機嫌です。

 

川にジャブンと飛び込み、流れゆく木の枝を追ってガブっと捕まえ、地上に咥えて上がることに最近ハマっております。

私がどこにいるかわかりますか?ここは流れがきつくて、多少危険。

 

私一見、自由奔放なようでいて、割と慎重なところもありまして、危険を察するとちょっと腰が引けます。特に散歩中、ご主人様たちの姿が見えなくなると、非常に不安になります。今日も・・・

 

この川、ちょっと怖いな。あれ?そういや、ママどこ!?

 

とパニックになりかけたところ、ママが「モカチーノ、おいで!」と橋の向こう側から声をかけてくださいました。

 

ああ、良かった!今、参ります!

 

私にとってはそんな相変わらずの朝でしたが、ママはなんだか物思いに耽っていらっしゃるようでした。

 

ママの様子が変になったのは、今朝、学校に行く準備をしながら次男坊ちゃんが目を輝かせて、ママに何やら色々質問してからのことです。

 

どうやら、次男坊ちゃんは、ママが封印しようとしていた若かりし頃の思い出を掘り起こしてきたようです。

 

次男坊ちゃんの同級生たちの間で今、かつて一世風靡した昭和の伝説的アニメが話題になっているそうで。その大昔、映画の世界と関わりのあったママは、いろんな偶然が重なり、そのアニメの某大物監督と個人的にやり取りさせていただいた時期があったらしいのです。

 

次男坊ちゃん、その監督と自分のママがお友達だった(畏れ多すぎるこの括り・・・次男坊ちゃんの理解ではそうなる)、ということを同級生のお友達に自慢したいものの、絶対信じてもらえないからその証拠を彼らに見せて欲しい!と、ママにお願いしていたのでした。

 

まあ、それはええけど・・・と言いながら、その監督と一緒に撮った写真を見つけたママ。ただ単純に懐かしんでいるのではない、複雑な表情でその写真を眺めていました。

 

写真に写っていたのは、ママが「ママ」になる前の世界。

 

いつまでもどこかで繋がっていると思っていたママ前とママ後の世界だったのに、ふと振り返ってみると、長い月日は気付かぬうちにこの二つの世界を隔てしまっていたのだと感じる出来事がここ数年続いていたのでした。

 

ママはフランス語圏に引っ越してからこの2年半、子育て犬育てでわちゃわちゃしながらも何とかフランス語学校に通い続けられました。

 

クラスメイト達は、オランダ、ブラジル、ブルガリアアメリカ、ロシア、キューバ、スペイン・・・などなど書き出すと数行使ってしまうほどの世界各国から集まってきていて、その年齢層も、20代前半〜60代と幅広かったようです。

 

ママは20代の子達ともすっかり打ち解けて、彼や彼女らをちょっと歳の離れた弟や妹のような存在に感じながら会話をいつも楽しまれていたそうです。

 

ある日、話題はママの若い頃の話になり、何を勉強していたか、どんな職業についていたか、についてみんなで話すことがありました。

 

ちょっと特異な研究分野の話や、一見華やかそうな業界にチラリと身をおいたことのあるママの過去を聞いた20代の子達が「クール!」と目を輝かせていろいろ聞いてきてくれました。

 

でも、ママはその時、嬉しい気持ちと同時に、妙な違和感を覚えたそうです。

なんだか、他人の人生を語っているようで。

決して嘘ではないのだけれど、興味津々に聞いてきてくれている若者たちを騙しているような気さえしてきました。

なぜなら、今のママはその自分の過去とは全く関係ない生活を送っているから。

 

それからまた後日のこと。

何故かママに懐いてくれる20代前半クラスメイト、スウェーデンの金髪美人さんが、話の流れで親しみを込めてママにこう言ったそうです。

 

「あなたのことは、スイスの母と思って頼らせてもらうね!」

 

ママはそれを聞いて一瞬笑顔が引き攣ったそうです。

 

・・・はい?この子は今、私に何と言った?母?いくらなんでもそこまでは歳取ってないわい!と。

 

ひとまず一呼吸置き、気を取り直して、頭の中で冷静に年齢差を計算してみましたところ、その答えは。

 

「彼女は決して間違ってはいない。確かに私は彼女の母であり得る年齢である。」

 

彼女はママにとって、ちょっと歳の離れた妹でした。

でも、彼女にとってママは、ちょっと若めのお母さん、だった?

いやもしかすると、普通にお母さん、だった?のです。

さすがにこの日は、ご自分の年齢への無自覚さに呆然とし、軽く落ち込まれたそうです。

 

この十数年、引っ越しする先々で、ママは何度も自己紹介を繰り返されてきました。

その都度、今の自分と繋げて紹介することのできていた過去の自分の貯蓄。しかし、ここ数年の間に、実はその貯蓄も有効期限切れしてしまっているという現実に気付かされてきたそうです。時折不意に受けるこの種のジャブによって。

 

それからは、これ以上痛いおばさんにならないよう、ご自分なりに、現在と過去の自分に線引きされるようになったそうです。

似合わなくなった過去の自分らしさへの呪縛から解放され、今の自分に似合う「らしさ」を見つけて生きていこう、と。

 

そうやって開き直られたママ。最近では、今までとは違う人生の楽しみ方を見つけられたようにお見受けしたのですが・・・ 

今朝の次男坊ちゃんのお願いを聞いてからの複雑な表情からすると、また、過去のご自分と向き合われることになったのでしょう。

 

常に今を生きる犬の私は、人間の皆様のように細かい過去の事象を記憶することはできません。

でも、過去の「感覚」は残っています。

産んでくれたママ犬や一緒に戯れあった兄妹たちの匂いや声。

まだ赤ちゃんだった頃、ふんわりとくるまってくれていた毛布の香りや肌ざわり。

 

普段は全く忘れているようでも、何かのきっかけでふと思い出すそんな感覚。犬の私にもあるんです。

それはやはり、私の犬生において大切なものだったからと思うのです。

 

だからママも、いいんじゃないでしょうか。

その過去は人生においてとても大切なものだったのだ、と優しく認めてあげても。 

 

無理にご自分の過去と現在を繋げようとしたり、切り離そうとしなくても、そっと、ふわっと、心のどこかにおいて置かれたらよろしいかと。

 

その過去は、これからご自分の人生に直接つながることがなくても 

今朝、次男坊ちゃんが掘り起こしてきてくれたようにいつか、大切な坊ちゃん達や、周囲の仲間の人生に何らかの楽しい影響を与えることがあるかも知れません。

 

追われる日常の中で、ふと失ってしまったものに気持ちが囚われる日があるのも分かります。

でも今一度、この目の前の世界を眺めてみてください。案外、まだ変わらず残っているものや、今のご自分にしかない大切なものも沢山おありでしょう。

 

例えばほら、目の前にいる、私、モカチーノ!

 

さあ、このうるうると濡れた瞳で「あなたが大好き」と訴えかける私を抱きしめ、今のご自分の幸福を噛み締めてください。

そして、どうか、私の温もりを感じながらも、しばし日常をお忘れになり、大切な過去の思い出に浸ってくださいませ・・・

 

・・・と、申し上げた側から、ちょっとすみません。

 

このうるうる瞳に問題発生。実は先ほどから、右目の涙が止まらないのです。

結膜炎ですかね、これ?念のため、今日中に獣医に連れて行って頂きたいのです。

 

夕方の長男坊ちゃんの柔道の送り迎えまでには診ていただきたいので

お手数ですが、今すぐ、獣医さんに予約のお電話かけていただけますか?

右目のうるうるが止まらない・・・

 

先ほどはちょっと格好つけて、物分かりの良い犬のふりをしてしまいましたが

結局のところ、私に必要なのは、助けてほしい時には何を置いても駆けつけてくれる今のママ、なのです。

 

全世界のお母さんお父さん方。

毎日、お疲れ様です。

 

どら焼きは国境を越えて

近頃、人間社会のルールも少しずつ理解し始め、分別のある行動も増えてきたと自負する私なのですが・・・

 

今朝はやってしまいました。

 

 

何を苦しい言い訳を、と責められるのは覚悟の上で言わせていただきますが、これは私だけの罪ではないのです。

 

今日はいつもの散歩時間になっても、ママは一向に私を連れ出してくれる様子はなく、それどころか、私がしおらしく待っているのをいいことにスルーし続け、たまに「もうちょっとしたらねー」などと気のない声かけで誤魔化し続けたのです。

そのような邪険な扱いに耐えかね、とうとう私も、己の権利を主張すべく、台所ふきんの噛みちぎりデモを起こすに至ったのでした。

 

ああ、やっと外に・・・気持ちの良い朝の太陽を浴びてビタミンD産生。

待ちぼうけを食らったのですから、やりたいようにやらせていただきます。
びしょ濡れは困る?そんなに嫌なら後ほど貴女がお拭きなすってください。

 

散歩の後、和解して分かったことですが、今朝ママは、次男坊ちゃんのリクエストに応じるべく、日本のおばあちゃんから送ってもらった「桜でんぶ」入りのお弁当作りをされていたようです。

 

そのお弁当を見た次男坊ちゃん「ウォー!!ありがとうー!ママー今日のお弁当5億点!」と大喜びでした。子供を狂喜させ、5億点!と言わしめるほどの弁当。その中身とは。

 

お弁当箱の半分には、次男坊ちゃんの大好きな桜でんぶが、なんの形も作り出さずにまだらに振り掛けられただけの白ごはん。残り半分には、無造作にぶった斬ったソーセージを焼いたもの、長方形になりきれなかった台形風甘い卵焼き、ちょっと茹で足りない硬めのいんげん胡麻和え、時期外れのくせに無理やり買ってしまった熟れてないミニトマト、が詰め込まれておりました。

 

ママは坊ちゃん達がお弁当で狂喜してくれるたびに、日本でハイレベルなお弁当作りに煩わされなくても良い自分の強運を噛み締めるのでした。

 

今住んでいるフランス語圏の学校では、なんの変哲もない塩おにぎりに個別包装された味のりを持って行かせただけでも、クラスメイト達に「すっげ〜!お前、こんなの食べれてめっちゃラッキーじゃん!」と羨ましがられ、中には「君たち兄弟のお弁当を見るたびに、美味しいそうで羨ましい。」と言ってくれる先生もいるそうです。

日本のお母さん方の本気弁当を見たら、こちらのみなさん、どうなることでしょうね。

 

ただ、スイス国内でも、地域によって日本のお弁当に対する意識に違いがあるようでして、ママや坊ちゃん達、ただ、おいしい思いばかりをしてきたわけではありません。

 

ドイツ語圏チューリッヒに引っ越したばかりの頃の話です。長男坊ちゃんが遠足に出かけることがありました。

 

ママ、まだドイツ語があまり話せない長男坊ちゃんのお友達作りのきっかけにと、頑張ってスイスでは手に入りにくい枝豆やら、ハムチーズやら、色々買い込み、日本のお弁当グッズを駆使して彩きれいな手の込んだお弁当を作りました。きっと、スイスの子供達が興味を持って食べたがるだろうから、卵焼きも多めに・・・とたくさん作って詰めました。

 

ところが、帰ってきた長男坊ちゃん。浮かない顔をしています。ママがお弁当、どうだった?お友達できた?みんなで楽しく食べれた?卵焼き分けてあげた?と聞いたら

「いや・・・みんなサンドイッチとかパンとかポテトチップとかばっか持ってきてた。お弁当見せたら、何これって変な顔されて、卵焼きいる?って聞いたら、いらない・・・って。」

 

それからも似たような場面に何度か遭遇し、ママは心折られ続けてきたのでした。

そしてある日、誕生日にクラスで配るお菓子は、手作りマフィンやケーキよりも、コッペパンみたいな安い市販のパンに、これまた市販の安いチョコレートバーをブッ刺したのが一番人気だと知った時、ママ、心に誓いました。

 

学校に持って行く食べ物には、金輪際、手間暇かけねぇ。

 

ところが、フランス語圏に引っ越してきてからというもの、どういうことでしょう。

日本に興味がある子のなんと多いことか。漫画の影響でしょうか。坊ちゃん達に日本人の血が入っていると知っただけで、興味を持って話しかけられることもあるそうです。

おにぎりも、卵焼きも、味のりも、漫画の中で見ているのでしょうね。憧れられるみたいです。

 

同じスイスでも、ドイツ文化の影響を受けたドイツ語圏と、フランス文化の影響を受けたフランス語圏。言語の違いだけではなく、そのメンタリティーもこんなに違うのか、と面白いです。実際住んでると、面白いだけじゃないこともありますがね。

 

チューリッヒ時代の痛い経験から、食文化に興味のない輩にはパンとソーセージとじゃがいも食わせときゃいい、と胡座をかいていたママですが、フランス語圏に来てから、近所のスーパーでもどんどん増え続ける日本食材ラインアップを見ていると、これはちと、これまでとは様子が違うぞ、と襟元正すことになったようです。

多少プレッシャーが生まれたものの、美味しさを分かってくれるがいる子供達がいるのはママにとっても嬉しいことで、作りがいを感じているようです。

 

そして先日、そんなママに羽が生えて飛んでいってしまうほど嬉しいことがありました。ーとはさすがに大袈裟でしたが、それでも実際、気持ち五ミリぐらいは宙に浮いていたんではないでしょうか。

 

さて、ママを嬉しさで5ミリ宙に浮かせたものとは・・・

 

 

このぺったりのっぺりどら焼きです。

 

インスタ映えなど知ったこっちゃない。ハッと気づいた時に慌てて撮った一枚。

なぜなら、あまりの嬉しさで、ママはこのどら焼きを手にした瞬間にかぶりついてしまって、もうすでに半分食べてしまっていたのだから。

 

これ、長男坊ちゃんが、「Dくんからママに。」と、学校から持ち帰ってくれたものです。

Dくんとは、会ったこともない、ママの美容師さんの息子さんです。

 

先日、美容師さんが貰ってきてくれた大野将平さんのサインのお礼にと、ママは「じゃがりこ」を長男坊ちゃんの同級生である息子さんDくんにお裾分けしたのでした。

そのまたお礼に、料理好きのDくんがスイス人のお母さんと一緒にどら焼きレシピを探し、試作したものをママにくれたのでした。

そのお味は・・・美味い・・・まさに正真正銘のあの庶民的などら焼きだったのです。

 

まさかスイスで、スイス人 の少年がどら焼きを作ってくれる日が来るなど、あの食の黒歴史を引き摺るママには想像もできなかったことでした。

その時ママは、こんな訳のわからない時代にも希望はまだあるのだ、世の中捨てたもんじゃない、と誰彼ともなく感謝したい気持ちになったそうです。

この辺のママの思考の飛躍には、私ちょっとついていけませんが。

 

それにしても、なぜ、どら焼きだったのでしょう。

なんだか、どら焼きっていうのが、いいですね。

どら焼きといえば、ドラえもん

昭和の平和な夢と希望に溢れた日本の漫画。

国境を越えて愛される存在。

 

ママ、ドラえもんとどら焼きの組み合わせにほっこりしながら

ふと思い出したことがありました。

 

昔、直島で住んでいた頃、家の電気工事に来てくれていたおじさんが

テレビでアンパンマンを観ている、当時まだ幼稚園児だった坊ちゃん達の姿を眺めながら

アンパンマンはええな。丸いのがええ。何でも、丸いっていうのは平和でええんや。」とニコニコしながらママに話しかけてきたこと。

 

丸い。平和。ええ。

 

電気工事のおじさんが繰り返されたその言葉。なんてことはない日常の中で聞いただけなのに、ママの心にはずっと残っていたようです。

 

ヨーロッパの子供達の間でも流行っている昨今の漫画とアニメ。

ディストピア的で大人びた作品が人気のようですが、またいつか、国境を越えて愛される「丸く」て「平和」で「ええ」漫画も、思わぬ時にふと現れて欲しいなってママは思っているようです。

 

このどら焼きみたいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

量子力学的 バレンタイン・デー

バレンタイン・デーの2月14日。

今週1週間、坊ちゃん達の学校はスキー休暇でして(スイスの学校は休暇が多い)、私たちは再び山のシャレーで過ごしておりました。

2月に入っても相変わらず残念な雪事情。スキーパスが有効活用されないまま今シーズン終了となってしまいました。

 

奇跡的に一晩雪が降った翌朝などは・・・

これなら1日スキー三昧では?と期待させられるものの

 

太陽が照り出した午後にはこの通り。あっという間に雪は溶けてしまうのでした。

 

話は戻り、バレンタイン・デー。非キリスト教国圏の日本では「女性が男性にチョコレートを贈る日」だと、皆さん何食わぬ顔でお話しされるのですが、ああ、なんと恐ろしい風習でしょう。チョコレートこわい〜。チョコレートこわい〜。

まんじゅうこわい〜などと笑いをとっている場合ではないのです。

なぜなら犬の私は、チョコレートを食べると強い中毒症状を起こし、命を落とす危険もありうるのですから。

愛(もしくは義理)という名のもとに毒をばら撒いて、何がそんなに嬉しいのか私には全く理解できません。普段は日本に強い憧れを抱いている私も、バレンタイン・デーだけは、日本にいなくて良かった、と思う次第です。

 

スイスでも、チョコレート攻撃作戦の風習はないにしろ、カップルが愛を祝う日には違いないようです。今年はパパ、ママにサプライズでちょっと贅沢なホテルのレストランでディナーご予約されたそうです。

結局パパ「サプライズで予約とったよ。」と、ご自分でバラしてましたけど。

 

そんな2月14日。宇宙規模で何か特別な力が働いていたのでしょうか。我が家ではなんとも不思議な出来事が立て続けに起こったのです。

 

パパは2日後、ロンドンに早朝出発するため、タクシーを自宅に配車してもらうよう、適当にネット上で見つけたタクシー会社に電話をかけられました。パパが自宅の住所を伝えられたところ、予約受付の方が

「え?それは私の住所ですけど?」

と、驚かれたそうで。

パパも受付の方も、お互いに何が起こっているか分からず混乱。もう一度住所確認をしたところ、パパと受付の方、同じ住所であることは間違いないようでした。

ということは・・・?

受付の方の名前を聞いてみたら、なんと、たまたま我が家のお隣さんだったそうです。

へぇ!これって、どんな確率で起こる偶然なんだろね??と、ママも坊ちゃん達も興奮されておりました。

 

そして、バレンタイン・ディナーの時。坊ちゃん二人と私はお留守番し、パパとお二人でディナーを楽しまれていたママはシャンパンやら赤ワインやら注がれるままに調子に乗って飲んでいたら、酔いが回ってしまったようで。せっかくのディナーの味が分からなくなってきたので、これはいかんと、酔い覚ましにお手洗いに行かれました。

 

そこには4つトイレが並んでいましたが、左三つは、トイレットペーパーがでろーんと伸びており、使用された感がありました。一番右のトイレだけは、蓋も閉まっており、トイレットペーパーの端がきっちりと三角折りになっていましたので、これは、清掃直後で綺麗に違いない、とママは入られたそうです。

 

気分良くテーブルに戻ったその約15分後、ママ、まだフワフワして味がよくわからないので、再び酔い覚ましにトイレに戻られました。次はどこに入ろうかなーとチェックしてみたら、4つのトイレのうち、左三つは先ほどと同じく、誰彼に使用された感が。となると、やはりさっきの一番右が妥当なチョイスかねぇ、と、少なくとも自分が使用した程度の雰囲気を予測しながら入った瞬間、ママ、ちょっと混乱。

なぜならば、再び、トイレットペーパーの端がきっちりと三角折りになっていたのです。先ほど入ったときと全く同じように。

 

あれ?さっき、私が入ったばかりだよな・・・

ディナータイムのこの15分の間に、ホテルのトイレの清掃員さんが入るとは思えない。

仮に清掃員さんが入ったとしても、そのほかの三つのトイレはなぜそのまま放置?

そして、ディナーに来ている気取った面々の中に、こんな綺麗にトイレットペーパーを三角折する客がいるとは思えない。

 

・・・とママ、なんだかタイムスリップしてしまったような不思議な感覚に襲われたのですが、まあ、トイレットペーパーの舌先が三角形であろうがベローンとしてようが、どうでもええか〜とそれ以上は深く考えずに、テーブルに戻られたそうです。

 

久々に贅沢な時間を過ごされ気分よく帰られたお二人。こちらも、鬼のいぬ間になんとやら、Amazonプライム見放題でのびのびお留守番していた坊っちゃん達と私、機嫌よくお迎えさせていただきました。

 

高級志向の長男坊ちゃんは「何食べたん?美味しかったん?え?トリュフ?キャビアビーフウェリントンもあった?でも、それはゴードン・ラムゼイのとは違うやん。」と、知識では負けん気むき出し、かつ興味深々に聞いておられました。

その一方で、次男坊ちゃんは「見て〜歯が抜けた〜!」と抜けた第一小臼歯を指に挟んで自慢しておられました。

 

夜も遅くなっていましたので、パパとママ、坊ちゃん達に歯を磨いて早く寝るように促したところ、抜けた小臼歯を持って洗面所の鏡の前に立った次男坊ちゃんが

「あ、くっそ〜!」と叫ばれました。

どうやら、歯を磨こうとした際に、その小臼歯がコロン、と排水口に落ちてしまったようなのです。

そんな次男坊ちゃんの後ろ姿を見ていたママ、あらー、惜しいね、残念だね、まあそういうこともあるよね、と一通り慰めた後、シャワーを浴びてご自分のベッドに入られようとしたら。

 

・・・あったんですよ、ママのベッドの上に。排水口に転がり落ちたはずの歯が。

これは家族四人、目が飛び出るほどびっくり。さすがに私も、ちょっとびっくり。

 

パパ「これは量子力学の世界やな・・・。」

ママ「うん、量子力学の世界やな・・・。」

次男坊ちゃん「量子力学って何?」

 

ママは次男坊ちゃんにこんなことをおっしゃっていました。

「正直よく分からん。けど、排水口に落ちて消えてしまったはずの歯が、ベッドの上にテレポートしとったのは事実(だと、歯を見た私たちは信じている)。この目に見える世界の常識では起こりうるはずのない、こんな摩訶不思議な現象でも、量子力学っていう学問の世界では可能なことなんかもしれん。今日、歯がテレポートしたこと、絶対覚えてといて!将来、坊ちゃんが物理を勉強して分かったら、今日の現象を科学的にいつか説明欲しい。」

 

うーむ、文系のパパとママの思いつきで出た言葉ですから、抜けた歯のテレポートが本当に量子力学の世界と関係するのかどうか非常に怪しいところではありますが、このバレンタイン・デーの不思議現象、私も是非、いつか、人間の坊ちゃん達に解明していただきたいです。

 

だって、私は知っているんですもの。

 

 

あの霧の向こう側には、こちら側とはちょっぴり違う世界が広がっていること。

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私のいない節分


2024年2月3日、節分の日。

 

福豆をビールのあてに、さあ、今から恵方巻きを東北東に向かって頬張ろうとする私。

 

 

・・・な訳はなく、その日、我が家での私の座を奪ったこのオオカミ野郎は『チク』と呼ばれる次男坊ちゃんの昔からの連れだそうです。

 

私はその日、初めてドッグシッターさんのお家でお泊まり練習をしておりました。

私の不在中に、坊ちゃん達がこのオオカミ野郎と仲良くしていたのかと思うと、ああ、憎い。嫉妬で気が狂いそうです。でも、このチク、実は私がこの家族にやってくる前からいた輩。すなわち、日本社会でいうところの先輩に当たります。ここは一つ、先輩たるものに敬意を払い、グッと嫉妬心を堪えることにしましょう。

 

そんな私のいない節分の日。

我が家では、毎年恒例の鬼パパがやって来たそうです。

 

 

子供部屋の窓をバンバン叩きながら、鬼パパ「グォー!ウォー!」

次男坊ちゃん、無邪気に「キャハハー!鬼はーそとぉ!ふくはー・・・なんちゃらかんちゃら、あれ、なんだったっけ?あ、ふくはぁーーうちぃ!」

鬼パパに向かってポーイと豆を投げます。

調子が出てきた鬼パパ、さらに暴れます。「グォー、グォー!!(もっと来い!)」

 

今度は長男坊ちゃん、若干、無邪気とは違う何かを感じさせる声で、滑舌よろしく「鬼はー外!!!」と叫びながら、甲子園球児のピッチャーを彷彿とさせるガチの投球ポーズで豆を鬼パパに投げつけます。

鬼パパ「痛い、痛い!まじで痛い!」

さらには鬼パパ、その後、近くに生息する野生動物のものであろう大きな糞まで踏んでしまい、すっかり心が萎えて、退散いたしました。

 

さて、みんなで作った恵方巻き。今年は東北東。すなわち・・・窓越しにお向いのアパートを凝視しながら言葉を交わさず一心に食べるおかしな4人の図、となりました。

それから約2、3分が経過し、皆さん完食した後。

 

次男坊ちゃん「かじる度にお願いしたけん、いっぱい願いごとできた!20個くらいかな?あ、くっそー!あと1個、願い事忘れとったぁ!!」

パパ、長男坊ちゃん、ママ「もう、ええやろ。」

 

ママ「(長男坊ちゃんに)あんたは何をお願いしたん?」

長男坊ちゃん「そんなもん人に言うたら、あかんやろ。」と不敵な笑みを浮かべて、食卓から離れて行きました。

我が家の愛すべきアレックス・キートンくん、何を願ったかは大体私には想像ついておりますがね。

 

※アレックス・キートン・・・1980年代にヒットしたアメリカのファミリーコメディドラマ『ファミリータイズ』のマイケル・J・フォックス扮するキートン家の長男。頭脳明晰で野心家の若い共和党員。人生の目標は「成功すること」と「金を稼ぐこと」の2つ。有名大学に進学し、元ヒッピーの両親のリベラルな政治観と対立し、しばしば衝突するが、根は心優しくて憎めないキャラクター。

 

坊ちゃん達の願い事、なんだかバラエティに富んで楽しそうですね。

パパとママのお二人は、ご自分のことよりも、家族のみんなの幸せに関することだったようです。お二人も、かつて若かりし頃は、自分のことで一生懸命願うことがあったのでしょうけれど。

願い事も、年とともに、色褪せて地味になってくる、いや、失礼、円熟していくものなのかもしれません。私からすると自分以外の存在のために一生懸命願うことがある、ということも、実は幸せなことのような気もします。

 

皆さんのどの願い事も、それぞれ叶うといいですね。

ま、次男坊ちゃんの場合は、お願い事すべて覚えていれば、ですけれど。

 

ところで、節分のイベントは逃してしまったものの、この日は、私にとって記念すべき日となりました。

 

なんと、ドッグシッターさんに連れて行かれたイベント「Repair Café」で、ジャーナリストさんの目にとまり、私、ローカル情報サイトに載ってしまったのです。

 

 

「ハサミを手にする〇〇さんのそばには、可愛い毛むくじゃらちゃんが」
毛むくじゃらちゃんとはレディーに向かって失敬な。

それは月に一度催される、壊れたもの何でも修理しますよ、というローカルイベントだったようです。

ドッグシッターさん「ジャーナリストさんが来てね、この可愛いワンちゃん、写真撮って載せていい?って言うから、もちろん、って快諾したのよ。モカチーノはこの日のスターね!」

 

老若男女を問わず、みんなに可愛がられ、さらにはローカル情報サイトに載り、目も眩むような脚光を浴びてしまった私。

きっと今は、チクが私への嫉妬心で気が狂っていることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君は柔道家Ono Seikoを知っているか?」

朝のさんぽ、夕方のさんぽ。

朝日と夕日。どちらも私の野性の心に沁みます。

それはきっと人間の皆様も同じでは。

 

さんぽ中に美しい夕日が沈む瞬間に出くわした時などには、パパママは、しばし時を忘れ、その場に佇むことも。

私としては早く森の方に走って行きたいんですけどね・・・

 

今日、夕方のさんぽに出かける前、長男坊ちゃんが嬉しそうに大きめのショッピング袋らしきものを抱えて帰って来られました。その袋は学校のお友達からいただいた、とのこと。

どうやらママはその中身を知っておられるようで、「あ、もらったんや?見せて見せて!」とワクワクしながら長男坊ちゃんの抱える袋に手を伸ばされました。

 

その袋の中身にはこのような経緯があったそうです。

 

ママには、行きつけの美容院がございますが、そこの担当美容師(フランス人)の方が、かなり濃いキャラクターをお持ちで、ママは毎回彼とバトルしながらヘアカットしてもらっているそうです。バトルの度ママ、絶対次は違う店探したる!と思われるようですが、最終的な仕上がりはいつも結構いい感じで、周囲にも好評なので、結局、その美容院に戻っていくことに。ちなみにバトルはこんな感じだそうです。

 

バトル例その1。

ママ「今回は、左右の長さをアシンメトリーしたボブにしてください。」

美容師さん「何故そうしたい?君はそうしたい理由をちゃんと考えたのか。」

ママ「いやー、考えてはないけど、雰囲気変えたいかなーって。」

美容師さん「じゃあ、斜めにするのは前髪だけにしろ。やりすぎは良くない。」

ママ「はあ・・・今日はそうします・・・。」

 

バトル例その2。

ママ「今日は思い切って、ショートボブにしたいです。ほら、こんな風に(Pinterestからの写真を見せながら)。」

美容師さん「ショートボブなら、夏まで待て。今はまだ寒い。」

ママ「・・・。」

 

バトル例その3。

ママ「今日は耳の後ろあたりに部分的インナーカラー入れてほしいです。」

美容師さん「中途半端はダメだ。染めるなら染める。染めないなら染めない。日本人は全体を茶髪にするだろう?あんな風ならやってあげよう。」

これ以上絶対負けたくないママ「いや、日本人だって、こんな風に染めてます。ほら!こんな風に私はしたいんですってば(Pinterestの可愛い日本人お姉ちゃんモデルを見せながら)!」

美容師さん「お、この娘知ってるかも(ちょっと顔がほころぶ)。これ、いいな。おう、これにしよう。」

ママは内心、なんや、筋の通った頑固親父かと思ったら、可愛い姉ちゃん好きのただの気まぐれ親父かい、とちょっとがっかりしながらも、その回はリクエスト通りに仕上げてもらい、大変満足しておられましたが。

 

そして先日偶然、その美容師さんの息子さんと我が家の長男坊ちゃんが同じ学校の同級生であることが発覚したのです。その流れで長男坊ちゃんにとって今一番熱いスポーツ、柔道の話になりました。

なんと、美容師さんは若かりし頃、フランスの全国柔道大会で1、2位を争うほどの実力の持ち主だったそうで、今も週に一回、柔道クラブに通って肉体と精神を鍛えていると、誇らしげに胸を張って語られたそうです。

 

美容師さん「ところで、君は柔道家Ono Seikoを知っているか?」

ママ「オノ・セイコ?」

美容師さん「そうそう、オノ・セイケ」

ママ「オノ・セイケ」?

美容師さん「そうそう!オノ・ショウケ!」

 

そうそう言っとるけど、毎回全部名前変わっとるやん、と突っ込みたい気持ちをグッと抑え、ママ、笑顔で「わかんないですねぇ」と答えました。

 

すると、美容師さん、ポケットからスマホを取り出し「彼だよ、彼。」と見せてくれたその人物は・・・

 

オリンピック金メダリストの『大野 将平』さんでした。

オーノ、ショーヘイ。オノ、ショウコ。オノ・セイケ。オノ・セイコ・・・

まあ、分からなくもないですかね。

 

美容師さん、彼の柔道技は最高なんだぜ、俺は週末にスイスで開催される彼のイベントに参加するのだ、世界チャンピョンと会うのだ!と、どんどんテンション上がり、饒舌に。

そしてママのヘアカットが仕上がる頃には「君の長男坊くん、もし彼のサイン欲しかったら、柔道着持ってきな!もらってあげるから。」との話にまで盛り上がっていったのでした。

 

家に帰ったママ、長男坊ちゃんにその話をしたら、当然のことですが、大喜び。美容師さんに柔道着を持って行って、サインを頼んだのでした。

 

さあ、これが今日、長男坊ちゃんが学校でお友達、すなわち美容師さんの息子さん、から受け取り持ち帰った袋の中身の正体だったのでございます。

 

大野将平さんのサイン入り柔道着



顔写真付きのサインもいただきました


この美容師さん、我が家ではその憎まれ?愛され?キャラクターが何かと話題になるのですが、なんだかんだ言って気の良いお方なのだと思われます。

 

ただ、ママが私を飼い始めたと伝え時、どうしても聞き捨てならないことをおっしゃられたのです。

「なんで犬なんか飼った?俺は子供にどんなにせがまれても絶対にやだね。俺の家で飼うのを許されるのは猫までだ!」

 

・・・このバトル、私モカチーノが受けて立とうと思います。

 

 

どついたるねん。・・・あ、それはボクシングか。