さんぽに行きましょう

スイスに住む 犬のつれづれ日記

前足の赴くまま、今、この瞬間

2026年1月上旬。

雪が降り積もった日。

 

大海原を跳ねるイルカの如く・・・

 

跳びます!

 

潜ります!

 

また浮上します!

 

最高です!

 

もう誰も私を止められません・・・!

 

相変わらず人間社会からは、雑音ばかり聞こえてきますけれど

今日ばかりは、雑音シャットアウト。

 

本能の赴くままに、私らしく・・・!

トリュフが見つかるかどうかはどうでも良いのです。
このプロセスが大事なのです。

いわば、この掘るという行為こそがー
私が私である何よりの証拠なのです。

 

かく言う犬の私もですね、ストレスが全くないことはないのであります。

人間社会から漂ってくる、嫌な空気。しっかり感じ取っております。

 

でも、人間の皆様よりも一つ長けていることがあるとすれば、

私は今、この瞬間しか生きられない、ということでしょうか。

 

人間の皆様はそれを「マインドフルネス」などと名付けて

ありがたがって実践されようとしているようですが

そのようにしか生きられない私からすると、なかなか不思議な努力です。

 

小難しい御託を並べるのはやめて、

皆様もとりあえず裸で雪山を駆け回ってみてはいかがでしょう。

 

雪山がなければ、普通に山で。

山がなければ、海岸で。

海岸がなければ、河川敷で。

あ、外で裸は捕まる?

ならせめて薄着で。

 

今の時期、寒くて何も考えられなくなりますよ。

 

そしてお家に帰って、ゆっくりお風呂に浸かってポカポカ〜。

 

ほら、もうウトウトしてきました・・・。

 

それでは今日はこの辺で。
おやすみなさいませ。



 

 

 

 

 

 

 

 

中年の挑戦 フランス語能力試験

「もういやー!なんで申し込みなんかしてもうたんや〜!」

 

11月に入ってからというもの、ママのこの雄叫びを何度耳にしたことでしょう。

 

そのたびにパパや坊ちゃん達が

「大丈夫、失うものはないんだから。」

という、励ましとも慰めともつかない言葉をかけられておられました。

 

ママ、フランス語圏に住み始めて4年目。

面白おかしく楽しくフランス語学校に通っていても、どうも進歩している実感が得られないので、ちょっと自分に挑戦してみようかな?と軽い気持ちでDELF B2というフランス語試験に申し込まれたそうです。

 

語学試験なんて25〜30年ぶりくらいのママ。ちょっと悩ましいレベル選び。

既に2年前、フランス語の先生からB1レベルは問題なく受かると言われていたらしいのです。なら、次のレベルB2行っとくべきかな、と。

 

まあ、普通そうなる流れは理解できますよね。

 

模擬試験を受けられてみたら、

4つのパートのうち2つ「リスニング」と「読解」は、なかなかの高得点。

こりゃいける!と好感触だったそうです。

 

・・・が。この試験にはママが若かりしころ受けていた英語試験TOEFL やTOEICには存在しなかった、自己採点しようのない「作文」と「口頭試験」が含まれていたのです。

 

さすがに一瞬怯んだようなのですが、そこは伊達に中年おばさんやってないママ。

 

「かつて日本の熾烈な受験戦争もくぐり抜け、大学院留学もやってのけた私。しかも2回の難産も乗り越え、一度などは生死の境目から這がってきた経験もある。その後だって大陸をまたぐ引っ越しを繰り返しながら、エネルギッシュな男子二人を育ててきた。語学試験なんて、半世紀近いこの人生の中では軽い肩慣らしみたいなもの。」

 

と、なかなかの強気で試験勉強を始められたのですが・・・

 

対策本の中に書かれた "あなたは、これできてる?" という「作文」と「口頭試験」の合格基準の項目を読み進めていくうち・・・

 

・・・いや、できてません。

・・・あれ?ひょっとして、B1とB2の間にはすんごいレベル差があるんではないかい?

 

と、嫌な予感がしてきたようです。

 

申し込んだ後、フランス語の先生からこんな説明を受けました。

 

「まあ、B2は一応フランスの大学にもついていけるレベルと言われてるよ。新聞とかエッセイとか少し複雑な文章も理解できる前提。市長に要求を書くような作文課題が出るから説得力のあるフォーマルな手紙の書き方も知っておかないといけない。口頭試験も同じく。社会的話題について論理的に自分の意見をプレゼンし、その後に面接官との質疑応答ね。」

 

ママ「・・・え?これって、本気で勉強せなあかんやつ?」

 

しかも我が家では、試験までの2ヶ月半の間に、秋休み日本帰国2週間の予定が入っていました。

 

あかん、時間が足らんやんけ!と、焦るママ。

 

それでも、家族に迷惑をかけるほどのことでもないしと、日々のタスクは通常運行されておりましたが、心ここに在らず。

 

暇があれば、フランス語ニュースを聞いたり、対策本を開いてお勉強。

週末はとりあえず「ママ受験勉強宣言」をし、家のことはパパにバトンタッチ。

 

さすが腐っても昭和生まれの受験経験者。負け戦はしたくない。

だんだんと試験の傾向が見えてきたようで、作文力は順調に向上されていったようです。

 

ただ、口頭試験が・・・口と頭が・・・つながらん!

要求される決めのフレーズや単語は覚えたはずなのに、いざ話そうとすると全然出てこない!

こればっかりは付け焼き刃では太刀打ちできぬ!

 

らしいのです。

 

しかも「伊達に中年おばさんやってない」ことが仇になり、

人生経験が妙に豊かで、意見が一元的ではなく、何層にもなってしまう。

それでいて頭はしっかり固くなっていいるものだから

その意見をご自身のフランス語レベルに合わせ、噛み砕いて表現する融通が効かないらしいのです。

 

筆記試験で人知れず失敗するならまだしも、

人前で見苦しく失敗してしまうかもしれない口頭試験が、

怖くて怖くてたまらなくなったようで。

試験当日に試験官の前で何も言葉が出てこないご自分を想像しては、

その恐怖から、冷たくて嫌な汗が頭からにじみ出してくる・・・

そんな毎日を過ごされていました。

 

お勉強の休憩時には、

いつもなら絶対にママが観ないような漫画原作の日本のドラマーー

『のだめカンタービレ』やら『妻、小学生になる』を観て、ところどころ本気で共感し、涙まで流されているご様子。

次男坊ちゃん、まさかのママの涙に

「え!?これで泣いてるん?」と驚かれることが何度も。

 

ああ、ママ、完全にメンタルが不安定。

これが人間社会で言われる「現実逃避」という現象なのだ、と私にも理解することができました。

 

きっとママはご自分の人生経験が、試験に対するあの独特のプレッシャーをかき消してくれると甘く見ておられたのでしょう。

 

彼女の場合はお気の毒に、その逆でした。

 

むしろ、受験戦争や大学院で論文・口頭試問を準備をしていた、

あの頃のプレッシャーが蘇ってきてしまったようなのです。

 

ピアノの先生もこうおっしゃっていました。

「会社で多くの部下を率いる偉い立場にいる生徒さんでもね、少人数といえどもピアノの発表会本番となると怖くてたまらなくなるらしいんだ。やっぱり、僕たちの中には何人もの人格が存在するってことだよね。それを身をもって体験できるなんて、実に面白いじゃないか!」

 

ママ「なんも面白くないです!」

 

そんな余裕のないママを横で見ていたパパ、

「いい年してそんなに必死にならなくても。面白い人だねぇ。」

と、からかいながらも、口頭試験官役として練習台になってあげたり、

時間がある時は家事を手伝ったりと、しっかり応援してあげておりました。

 

そして、泣いても笑っても、"その日"はやってくるのが人生。

 

試験前日、坊ちゃん達がママにこんな言葉をかけておられました。

 

次男坊ちゃん、

「ママはたくさん勉強したんだから、きっとうまくいくよ!でも、うまくいかなくたっていいんだよ。どっちでも大丈夫なんだから。もうあとちょっとで終わりだよ!頑張って🎵」

 

長男坊ちゃん、

「今夜はもう早く寝な。ママはこれまで十分に努力してきたんだろ?今晩の勉強で合否は変わらない。それにもし緊張で眠れなくても大丈夫。俺の尊敬する格闘家も、試合前日に眠れなくても勝敗はそれまでの努力が支えてくれると言っていた。」

 

私はその時、人間親子の立場が完全逆転する瞬間を目にした気がいたしました。

 

ママだってその昔、人生を左右する試験を受けてきた学生だったはずですのに。

大人って、都合のいい生き物です。

もうすっかりその頃の気持ちを忘れて、分かった風に

子供達にいろんなアドバイスなんかしちゃったりして。

長く生きてるから、なんでも乗り越えて分かった気になってきてるけど、そんなことはない。

どれだけ大変だったかってこと、忘れてしまってるだけなんですよ。

「現場」はいくつになっても、誰にとっても大変なんです。

 

坊ちゃん達は日々、学校生活の中でいろんな勝負ごとに向き合って

その度に緊張したり、不安だったり、嬉しかったり、悔しかったり・・・

いろんな気持ちを抱きながら生きておられるんですね。

 

40代後半にして、

そんな現役中学生である坊ちゃん達のお気持ちをリアルに感じとられ、

日頃、無意識のうちに上から目線でかけられていた言葉を深く反省しながらも、

ご家族の温かい応援に支えられながら、筆記・口頭試験を無事に終えたママでありました。

 

その結果・・・めでたく合格!!!

全体的に予想以上の高得点(作文はほんまかいな?の満点)だったので

ママも驚かれて嬉しそうに周囲にご報告されていたものの、すぐに冷静に戻られ

「これを我が人生最後の語学試験とする。二度と受けない。」

と断言されておりました。

 

悲しいかな、その辺りはやはりお年でしょう。

合格という結果の嬉しさよりも、

そこに至るプロセスの苦痛の方が上回ったようです。

試験に向かうあの独特のテンションをわざわざもう一度生き直す必要はない、

この自分の限られたエネルギーは別のものに向けたい、と。

 

最後に、お年といえば。

私事で恐縮ですが、わたくしモカチーノ、11月11日で3歳になりました🎵

 

ママの試験直前でしたので、今年は手抜き感が否めませんでしたが

美味しいBrieチーズと鶏胸肉でお祝いしていただきました。

 

3歳になっても、ピチピチの現役女子犬です。

 

ママの奮闘を観察していて、ふと思いましたよ。

 

坊ちゃん達も、パパも、ママも、

みなさん誰しも、いくつになっても、

 

それぞれの「現場」で、現役なのですね。

 

 

 

 

 

いなくなるということ

美しく晴れ渡る青空が、こんなにも憎らしく感じられる日があるなんて。

私は、今まで知りませんでした。

 

その朝、妹アスカの訃報を知らされたのです。

我がブログでも以前紹介させていただきました、あのお転婆アスカです。

私が駆けっこでは唯一、敗北を認めざるを得なかった妹。

写真では見分けが付かないくらい、私と瓜二つの妹。

 

バイクとの衝突事故だったそうです。

 

その日からずっと、アスカと飼い主の優しいご夫婦のことが頭から離れないのです。

 

私はこんなに悲しいのに、世界は変わらず回っていく。

私はこんなに泣いているのに、空はこんなにも美しく晴れ渡っている。

私はなんだか、その世界の回転にひとり取り残されてしまったようです。

 

しばらくして、飼い主の方からメッセージをいただきました。

 

「時間というものは偉大ですね。決して悲しみは消えないけれど、時間のおかげで悲しみの形が変わってきた気がします。」

 

いなくなってしまった、あのこ。

どこに行ってしまったの?

 

そんな私の悲しみに、ママがそっと、ある脚本家の言葉を教えてくれました。

 

"いなくなるのって消えることじゃないですよ。いなくなるのって、いないってことがずっと続くことです。いなくなる前よりずっとそばにいるんです。"

 

ほんとだ。

 

 

ずっと続いている。

そして、ずっとそばにいる。

 

いなくなってしまった、あのこ、あの人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あー夏休み 

おはようございます。

 

坊ちゃん達は6月末から8月後半まで長〜い夏休み。

 

連日夜遅くまでご家族で映画ナイトを楽しまれるので、寝坊が続いている坊ちゃんお二人。

 

「明日こそ朝8時半には起きるから!」と意気込まれたお二人ですが、結局9時半になった今も、まだ爆睡中でございます。

 

愛しい寝坊すけ坊ちゃん達に合わせて、私も一生懸命だらけております

 

そろそろ坊ちゃん達を起こそうかな、と思いながら台所を片付けているママ。

「お!」と、声をあげ、私にこんな不思議なものを見せてくれました。

 

 

ほう。サラダの水切り器にバッタの赤ちゃん?なぜに?

 

確かに驚きですが、坊ちゃん達を叩き起こしてまで見せるほどものでもないので、ママはたまたまそばに居合わせた私にとりあえず見せてくださったのでしょう。

 

私がこの不思議を見たことで納得したのか、ママは庭で水切り器をブンッと振り、そのバッタをポイッと振り落とすと、何事もなかったかのように作業に戻られました。

 

ちなみにスイスの学校では夏休み中・・・

宿題?ありません。

部活?なにそれ?

 

・・・というわけで、各家庭でなんらかの企画をしない限り、子供達にとってはただただ長〜い白紙の夏休みになってしまうので、親御さん達は夏の子供用イベントを早め早めに思案し始めるのが通例です。

 

とりわけ共働きのご家庭にとって、子供を預かってくれ、かつ、夏らしい体験をさせてくれる場所を探すのはかなりの重要ポイントになってきますので、人気のあるキャンプ企画などはあっという間に予約いっぱいになってしまいます。

 

我が家のパパとママは、そんなスイスの夏休み企画争奪戦にいつも出遅れ、しかもギリギリで家族旅行を決められるので、非効率的でコストもかさむ旅ばかり。もっと要領よく旅企画できないのかと、私は横でいつも歯がゆい思いをしておるのです。

 

が、今年は日本からママ側のおじい様とおばあ様が遊びに来てくださり、夏休み前半から楽しい企画バッチリ。ご家族皆さまでオーストリア・ウィーンとザルツブルグを周られたそうです。(私はその間、いつもお世話になっている近所のおばさん宅でお留守番。)

 

おばあ様の憧れの音楽の都・ウィーンでは宮殿や美術館巡り。そしてモーツァルト生誕の地ザルツブルグでは、ちょうどザルツブルグ音楽祭の初日に滞在が重なり、地元の昔から続く儀式やインテリすぎるコンサート体験も楽しまれた様です。普段はゴルフのことしか頭にないおじい様も、おばあ様に付き添われて頑張って周られたそうですね。

 

おばあ様が長年夢見ていたウィーンの街。

初日は王家の栄華が築き上げた石の重みや、権力の夢が形どった宮殿や庭園、政治と芸術が絡み合った気配に、さすがはウィーン!とおばあ様もおじい様も興奮気味だったご様子。

 

そして美味しい物好きの我が家の皆さま、ルンルン気分で

 

さあ、ウインナーコーヒーにザッハトルテを食べましょう🎵

あら、やっぱり日本より本場はあっさり感があって食べやすくて美味しいね。

夜はウィーン名物の牛の煮込みスープ・ターフェルシュピッツを食しましょう🎶

さあ、明日はアプフェルシュトゥルーデルだな!

 

と、初日からオーストリア名物に全力投球。

ところが、すでに2日目で、日本食と対極にあるとも言える容赦ない足し算オンパレードのオーストリアの味覚に胸焼けしてきたようでして。

 

そのうち、御一行は建造物を見ていても・・・

 

「この国は、なんでも盛るのが好きなんだねぇ・・・。」

 

「な、なんかゴツいねぇ・・・。」

 

「あの『サウンド・オブ・ミュージック』のイメージはどこなんだろ・・・?」

 

と、いろいろにお腹いっぱい気味のコメントが皆まさの口からポロポロ。

 

その後、ウィーンからザルツブルグに移動してホッとしたようで

 

 

「ああ、ここはちょっとスイスっぽい。山の感じがやっと『サウンド・オブ・ミュージック』のイメージに近づいたー!」

 

ふむ。ウィーンの街角で『サウンド・オブ・ミュージック』の面影を探すことは、ちょうど、東京都心部で『となりのトトロ』の風景を追い求めるようなものだったのかもしれませんね。

 

スイスに戻られたおじい様とおばあ様。

「あーやっぱりスイスがホッとするなぁ。」

 

まあ、それはスイスが良いと言うよりは、

バッタが水切りボールに迷い込むだけでちょっとした事件になりうるような

我が家の静かな日常生活空間だから、でしょうけれど。

 

次回は観光ほどほどに、おばあ様のお目当ての演奏会に合わせてゆったり音楽を楽しむオーストリア旅にしてみたら良いのかもしれませんね。

 

さて、そんな坊ちゃんたちの大好きな日本のおじい様とおばあ様も先週末に帰国され

夏休みの前半は、楽しい思い出に包まれながら、そっと一区切りとなりました。

 

朝はママが起こさなければ、いつまでも寝れてしまうどっぷり夏休みモードの坊ちゃんお二人。

 

来週頭には、山の自然を満喫する1週間のデジタルデトックス本格キャンプが控えおりますので、そろそろ生活リズムを整えていただきたいところでございます。

 

はてさて、この調子で山入りとは・・・犬の身ながら、そっと案じております

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アドレセンス』、ときどき『ひとつ屋根の下』

先日、スイスのおじい様とおばあ様から

毎年恒例の「レマン湖を背に悠々と泳ぐ巨大鯉のぼり」の映像が坊ちゃん達に届けられました。

 

スイスのおじい様、足が痛いのに。
坊ちゃん達のために毎年ご苦労様です。

 

今年もこの季節がやってきたのですね。

新緑溢れ生命力に満ちる5月ですのに、私個犬的には妙な感じがしております。

我が家の生活が普段よりも規則正しく流れており、何が悪いというわけでもないのですが・・・

どうも寂しいと言いますか、心許ない感じがすると言いますか。

ここしばらく、パパの姿を見かけていないのです。

 

別に幸せなんですけどね。
なんだか、ちょっとね。

 

坊ちゃん達やママの会話を聞いておりますと、どうやらパパは長期の出張に出かけておられることが分かりました。

 

パパから時折送られてくるのは、ヴェニスやパリを舞台に華麗荘厳な世界が映し出された数々の仕事現場の写真。

 

坊ちゃん達とママはそれらを眺めながら「すごいねぇ。」と、庶民の想像を超えたスケール観に一瞬圧倒されます。けれどほんの数秒後には、結局は他人事よと言わんばかりにクールな表情に戻り、それぞれの日常のタスクに淡々と戻っていかれるー

 

そんなご一家のルーティーンを、私は日々観察しております。

 

そして私も報われないルーティーンワークに毎日励んでおります。

 

パパが不在の間は良くも悪くも規則的な夕食時間を確保できるため、坊ちゃんお二人とママは夕食後の楽しみに『ひとつ屋根の下』とかいうレトロなドラマをご覧になることにしたようです。

 

(いかんせん、サラサラストレートのロン毛男が主演のドラマですからね。スイス男児のパパにはそもそもビジュアルから理解不能であろうと、ママはパパ不在を見計らって坊ちゃん達に勧められたようです。)

 

『ひとつ屋根の下』は、ママが今の長男坊ちゃんの年頃に流行っていた平成初期のドラマ。

 

週に一回の決まった放送時間。その放送を楽しみに宿題やテスト勉強を仕上げ、

視聴した翌日は学校でドラマの話で友達と盛り上がっていたのよ、なんて思い出話も交えながら、坊ちゃん達に昔のテレビドラマの在り方について語っておりました。

 

さて、その平成ドラマを初めて目にした坊ちゃん達の反応はー

 

「な、何なんこの髪型!?カメラワークがダサくない!?テンポ遅くない!?演技下手じゃない!?」

 

と、痛烈な批判が最初の10分間続きました。やはり、現代の坊ちゃん達二人にはこの世界観には無理があったか・・・とちょっと弱気になったママ。

 

ところが、そのうち

「でもなんか、おもろい。これ、めっちゃおもろい。めっちゃいいいやん!」

と、お二人の目がキラキラし始めて。

ついには連夜で一気見されるほどに、このドラマの虜になっていたのでした。

 

家族愛溢れる不器用で熱い主人公"あんちゃん"の数々の名言(迷言)。

 

「そこに愛はあるのかい?」

「幼稚園で習わなかったのか?」

「我が家のエンジェル係数

「一家の電信柱」

 

ママはその空気感を懐かしみながら、坊ちゃん達はケラケラ笑いながら聞いておりました。そしてそんな冗談めいたセリフの中にも、次のあんちゃんの言葉にはお三方の胸を打つものがあったようです。

 

「僕は幼稚園で習ったこと、ずっと守ろうと思って生きてきました。

人を傷つけてはいけません。人の物をとってはいけません。女の子に暴力を振るってはいけません。物を大切にしましょう。思いやりを持ちましょう。外から帰ったらうがいをして、食べたら手を洗う。なんていうんですかね、あの、うまく言えないんですけれども。」

 

幼稚園で習ったことが全てー。なんてシンプルで、なんて本当なんでしょう。

犬はうがいこそできませんけれど、それ以外は私もまったく同感でございます。

 

それにしてもなぜ、今さら『ひとつ屋根の下』なのか。

 

そこをご説明するにはパパが出張に出かける前に話を戻さなければなりません。

 

『アドレセンス』というNetflixのドラマ、日本でも話題になっていますでしょうか?

 

1ヶ月ほど前、ママはそのドラマについての噂を続けざまに耳にされたのです。

 

ある時はフランス語学校のスコットランド人クラスメイトから。

「今話題の『アドレセンス』知ってます?ワンカット撮影で非常に出来が良いらしいんですが、内容がヘビーなので、思春期の坊ちゃん達がいるママさんは絶対観ない方がいいですよ!」

 

またある時はパパから。

「『アドレセンス』ってドラマ、かなり出来が良いからイギリス首相も子供と観ることをお勧めしているらしい。」

 

そしてとどめはタイ人のママ友から。

「『アドレセンス』観た?今の子供達の世界について親がどれほど理解できていないのかが分かって愕然としたわ。ママちゃんも絶対観なきゃだめ!」

 

そんな訳でパパとママは『アドレセンス』全エピソードを一気見。

 

さて、お二人の感想は。

 

・・・うーむ、確かに非常に良くできてるけど・・・

ズバリ、坊ちゃん達には観せなくて良いでしょう!

 

でした。

 

端的に申し上げますと、ただでさえ子供達に明るい未来を提示しにくい世の中に生きているのに、このダークで妙にリアリスティックなドラマを観せることが、子供達にどんな徳をもたらすのか理解できない、とのご意見でした。

 

ママはその後しばらく、このドラマから受けたモヤモヤを発端に、ニュースで見聞きする事件や身の回りで起こっている解決の糸口が見えてこない問題についていろいろ思いを巡らせていらっしゃったようなのですが、いつもの如く、誰にもついていけない彼女独自の理論展開の後、ふと、こう閃かれたのでございます。

 

「今、坊ちゃん達に観せるべきなのは、『アドレセンス』ではなくて、『ひとつ屋根の下』なのだ!」

 

ーと。

 

こういう一連の流れの中で、今さら『ひとつ屋根の下』になったわけです。私も坊ちゃん達に抱っこされながら一緒に拝見いたしました。

 

1993年作。ピクセルが目立つ荒い画像。撮影技術・センスも拙いものでした。

役者さん達の演技も現代のいろんな映像慣れした役者さん達と比べると、どこか大袈裟で洗練されていなくて。

ストーリー展開もとても単純で、ありえなく不幸な設定なのに笑いがあって。

男とは女とは、という分かりやすい二項対立の価値観のもとに人物像が描かれていて。

それゆえ今の時代ではツッコみどころ満載のセリフや演出だらけ。

そして、毎回あんちゃんが幼稚園で習った「綺麗ごと」とも言えるその信念を貫くことで、必ず問題が解決されていって。

 

でも、不思議なことにすごく惹き込まれるんです。現実は絶対そんな風に上手くいかないけど、心のどこかでそうあって欲しいという人間の善意的側面の願望が叶えられていく気持ちよさーそんなカタルシスがそこにはありました。

 

この昔のドラマの、そんな荒さやぎこちなさ、馬鹿みたいに素直でシンプルであることが、今の私たちには逆にとても新鮮で。α世代と呼ばれる坊ちゃん達さえも魅了してしまったようです。

 

『ひとつ屋根の下』に言及させていただいたついでに、『アドレセンス』についても犬ながら私見を。

 

なるほど、1エピソードをワンカットで撮影という、緻密な計算がなされた所以の流れるような映像の美しさには圧倒されます。

何よりも俳優陣の演技が素晴らしく、特に主役の男の子の演技は帽子を被ったことのない私でさえ思わず脱帽!でした。

ストーリー展開も一元的ではなく、非常によく練られています。

現代社会の持つ複雑性が色んな角度から炙り出され、今まさに思春期のお子さんを持つ親御さんとっては胸に迫るような問題提起が数多くなされていたと思います。

 

けれど、やはりドラマはドラマです。リアリスティックでありながら、それは一種のファンタジー。そして、非常に出来の良いドラマであるだけに、そのリアルさに引き込まれて、気づかないうちにダークなファンタジーに心を持って行かれてしまうー

 

そんな危うさを感じとり、感受性の強い年頃の坊ちゃん達に観せるのは憚られたパパとママの気持ちも理解できます。

 

『アドレセンス』の中で出てくる「ミソジニー(女性蔑視)」、「インセル(弱者男性)」、そしてフェミニズムやポリコレに辟易とした男性中心主義のムーブメント「マノスフィア」という今の社会が抱えるキーワード。

 

「女の子に暴力を振るってはいけません」と、真っ直ぐに言い切ってくれる"あんちゃん"に、このキーワードについてどう思うか聞いてみたい気もしてきました。

 

さらには、あんちゃんが『アドレセンス』の世界の中にいたら、どんな風になっていたんだろう?

 

ーと、想像しようとしましたが、国も時代も言語も違うし、そもそも映像ピクセル的に私の脳内では擦り合わせることができず、断念しました。

 

2025年の非常に複雑な『アドレセンス』時代を生きる坊ちゃん達。

 

人間の暗い心理を掘り下げるリアリティーを追求した"出来の良い"ドラマばかりじゃなくても、ときどき『ひとつ屋根の下』のような、嘘みたいにシンプルで分かりやすい「希望」や「夢」物語に触れてみるのも、悪くはないのではでしょうか?

 

そして、

 

『ひとつ屋根の下』の話に出てくるシシシ・・・の犬のケンケンってそんなに有名?

 

 

と思う今日この頃です。

(私モカチーノ、ケンケンに軽くジェラシー。)

 

          

       

シシシシ・・・

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忙しくとも、大切に

「え、もう4月半ば?

さらに明日からイースター休暇が始まるって?」

 

 

私のワクチン予約のため獣医さんとアポを取り、カレンダーをめくりながら唖然としているママ。

(彼女はスマホのリマインダーだけではどうも不安らしく、自分の手で予定を書かないと気が済まないらしいです。)

 

2月、3月・・・

我が家の皆さまは何をしていたのか全く思い出せないくらい、とにかくお忙しい日々を過ごされていたようで。

 

私はママの足元から見上げ、壁にかけられた家族全員のスケジュールが書き込まれたカレンダーを覗いてみましたら、ああ、そうでした、そうでした。

 

・長男坊ちゃんのスキーキャンプ。

(というより、病人・怪我人続出のサバイバル・キャンプ)

 

・家族でスキー休暇。

(ピアノの先生に半ば強制的に高級電子ピアノを購入させられ、休暇を過ごす山の家でも坊ちゃん達は練習するはめに。)

 

・次男坊ちゃんの連続バレーボール試合。

(体育会系親御さんとコーチのチャキチャキ連絡網のノリについていけず「え、え、これどういう意味?」と文化系ママは一人でオタオタ取り越し苦労の連続。)

 

・パパのどデカいアメリカ出張。

(想像の域を超えた、意味不明の世界。)

 

・坊ちゃんお二人揃ってスイス全国ピアノコンクール出場。

(このネタだけで軽くブログ10話分になるでしょう。)

 

その直後、家族全員インフルエンザで1週間K.O.。

(地獄を見ました。)

 

そんな慌ただしい2ヶ月を乗り越えた皆さま、本当にお疲れ様でした。

 

とはいえ、そこから日々が穏やかになるわけでもなく、変わらず忙しい日常は続いていくのが人間社会。

 

そして今夜もパパ、夜遅く帰宅。

大体いつものパターンとしては、

次男坊ちゃんがママの代理で「何時帰り?」とパパにメッセージを送り、

パパから「〇〇時に帰る」との連絡が入ります。

このパパの連絡してくる時間帯が曲者で、坊ちゃん達のスケジュールをずらして待っておけば、家族揃って遅めの夕飯にできないこともないくらいにまあまあ遅めの時間。

 

そこで毎回ママは、パパを待たずに効率よく夕食を済ませてしまうか、パパを待って家族団欒の夕食時間を確保するか・・・の選択を迫られるわけですが、

今晩連絡があった帰宅予定時間はどう考えても遅いので、坊ちゃん達と先に夕食を済ませることにしました。ママ、ナイス・ジャッジメント

 

帰宅予定時間直前になり、

パパ「ごめん、やっぱりもっと遅くなる・・・。」

 

やっぱりね、と思いながら片付けを始めだしたらママも1日の疲れがどっと出て、もう寝る準備モードに入りだしました。

 

そこからしばらくして玄関先でガチャガチャとパパご帰宅の気配。

もうベッドに入ってしまった坊ちゃん達や疲れ果てているママに笑顔で迎え入れられることのない可哀想なパパ。

私は精一杯、ウォンウォン!と喜びのご挨拶し、体をくねらせながら尻尾をフリフリパパのご帰宅を熱烈歓迎いたします。

 

ーあれ?意外。こんなに遅い帰宅なのにパパが何故か笑顔です。

 

パパ、ご機嫌にただいま〜と言いながら、何やらアルバムを探しだしました。お手に取られたのは、パパとママの結婚式のアルバム?

 

パパのご帰宅時間がさらに遅くなって予定がずれ込み、十分に不機嫌なママはそのパパの奇怪な行動を怪訝そうに見ていました。

 

するとにわかにパパがママに紙袋を手渡したのです。

ママ「何これ、また何かプレゼントもらってきたん?」と冷たく聞き返します。

 

パパのお勤めしている会社では何かとプレゼントを頂く機会があるようで、最初は嬉しかったママも最近ではそのありがたみが薄れ「いくら高級品でも自分が使わないものは要らない。」と少し興醒め気味に、紙袋を受け取ったママ。

 

パパがそれでもニコニコしながら見つめているので、ママは不思議に思いながら紙袋の中を覗き込んだら・・・

 

「おぉー!?こ、これはかの腕時計ではないかー!?え、なんでなんで今、もらえるん?」

 

パパが何も言わずにニヤニヤ笑っています。

 

ママは頭をフル作動させます。

 

あ、さっき結婚式のアルバム探してた?

あ、今日って4月何日だっけ?

あ、え?・・・あ!!!

完全に忘れとったー!!

 

そうです。今日はパパとママの結婚記念日だったのです。

 

ママは「高級品でも使わないものは要らない」という気持ちを即、大撤回。

 

日頃、ママは言っています。

「携帯見たら時間分かるし、どうも高級腕時計には興味が湧かんのよな・・・。」

そんな彼女はご自分から買おうとは絶対思わないでしょう。

 

けれど、これはパパから贈られたものだからママには特別な意味があるのです。

ご結婚されてからのお二人の歴史が刻まれた象徴的な腕時計ですから。

 

今まで感じたことのない腕時計の重みを噛み締めながら、ママはお二人が歩んできた日々に思いを馳せておられました。

 

と同時に、「なぜ毎年、結婚記念日を忘れてしまうのか!?」というご自分への不甲斐なさが込み上げてきたそうです。

人間世界ではよく、男性の方が記念日を忘れるとお聞きしますが、我が家のパパ(よく気が利く)とママ(面倒くさがり)においては逆のようですね。

 

日常に追われて忙しいから仕方ない、といえばもっともなのですが

娘犬の私から、ささやかなアドバイスを一つー。

 

忙しいからこそ、ご夫婦の記念日くらいは
心に花を咲かせる時間になさった方がよろしいのよ。
美輪明宏風)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全身麻酔と魅惑の兄弟デュオ

近頃、どうも放っておかれることが多い気がしていたのですが・・・

 

 

昨日、ああ、そういうことだったのね、と分かりました。

 

ママが手術を受けられたそうです。

 

手術自体は医者からすればルーティン作業レベルの簡単なものなのに、人生初の全身麻酔ということで、ママはお得意のネガティヴ想像力が掻き立てられていたようで。

 

「目が覚めなかったらどうしよう」

「目が覚めたら25年後だったらどうしよう」

 

どおりでママ、なんか様子がおかしかったのですね。

 

私とおさんぽしていても上の空なので、あらもう私のことなどどうでもいいのかしらと思いきや、突然、モカチーノ!と抱きついて、なでなでしてきたり。

 

長男坊ちゃんと次男坊ちゃんには、折に触れ、これまでの子育てを総括するような発言が目立ちました。お二人のそれぞれ良いところをまとめて褒め出したり、気になる点を指摘したり。

 

99%は大丈夫だとご自分でも分かっていらっしゃったようですが、どうも残りのたった1%の不安のために生き急ぐ感じの日々だったのでしょう。

 

そして以前から予定していたオランダ人のユッセン兄弟 (Lucas & Arthur Jussen)ピアノデュオのコンサートは、万が一のことがあって観れずじまいになっては嫌だからと、コンサート以降に手術の日取りを決めたそうです。

 

そんな複雑な心境の中、ママはパパと一緒にチューリッヒまで片道3時間、往復6時間かけて彼らのコンサートを聴きに行ったのです。(深夜の帰宅になるため翌日学校のある坊ちゃん達は家で私とお留守番でした。)

 

せっかく楽しみにしていたはずなのに、行きの電車の中では、まだ気持ちが日常生活に引っ張られているママ。パパも彼女のテンションを上げるのに困っていたようです。

 

ところがママ、会場に足を踏み入れた頃からやっと非日常の世界にいることを実感してきたようで、徐々にテンション上がってきたそう。そしてついに ユッセン兄弟がキラキラニコニコっと笑顔で駆け足に舞台に登場した途端、ママの表情がミーハー少女に一変。

 

ママ「わー!本物だー!可愛いー!」とパパに満面の笑みを向けたところ

パパ「キャー!ほんとだねぇ、目の前にいるねぇ、良かったねぇー!」とママをからかって笑っていました。

 

 

しかしこの兄弟、アイドル風に出てきたかと思いきや、ピアノの前に座った瞬間から一気に本気クラシックピアニストの顔つきに豹変。そこからはママの浮き足だったミーハー気分を一瞬で払拭するような、驚きの名演奏が繰り広げられました。

 

ママに付き合ってくれていただけのはずのパパも、スポーティーな兄弟ならではの楽しい連弾掛け合いに魅了されたようで、途中からユッセン兄の方を我が家の長男坊ちゃん、弟の方を次男坊ちゃんの名前を使って呼ぶようになっていました。

 

「次男坊ちゃんはハンサムでピアノも確かに上手いけど、俺は断然、長男坊ちゃん派やな。」とパパ。

 

それに対してママ「確かにビデオでは次男坊ちゃんの方が良かったど、やはり長男坊ちゃんは長男だけあって、ちゃんと場を見ながら演奏してる。どちらにもそれぞれの良さがあって、どちらがいいとは言えんわぁー。」と、どこまでもガチの母親目線。

 

客層はやはりクラシック・コンサート会場らしくご年配の方が8割を占めており、お隣のおば様方がキャッキャとしてる反応を見ていると、可愛い孫達のピアノ演奏を応援しに観に来ているおばあちゃん達の姿に近いものがあるような気がしたそうです。

 

そうそう。我が家の長男坊ちゃん次男坊ちゃんもピアノを弾かれるんです。

 

お二人とも今までいろんな先生に可愛がっていただいて来ているのですが、坊ちゃん達は、一日何時間の練習時間も厭わないようないわゆるピアノ少年ではなく、典型的な理系男子かつスポーツ少年達なのです。

 

そんなですからママは、ピアノの先生方からの熱量 VS 普通の男の子らしい坊ちゃん達の生態、との板挟みになり、親として苦心された時期があったそうで。

 

そんな時にママ、通念のストイックなクラシックピアニストではなく、もっとスポーティーでオープンな、坊ちゃん達のモデルになるような男性ピアニストはいないもんだろうか、と探されていたところ発見されたのがこのユッセン兄弟だったそう。

 

コンサート後、ユッセン兄弟がCDにサインしてくれることになりました。

もうすっかりマイケル・J・フォックス好きだった頃の昭和少女に逆戻りしてしまったママは「いや、恥ずかしくて話せない!パパが話して!」と逃げ腰。

 

「だめ、ママが話しなさい!」とパパに背中を押されてドキドキしていたママに、弟さんが「お待たせしてすみません。」と、優しい笑顔で話しかけてこられました。

 

げっ、目があってしまった!逃げられない!と焦ったママ、自分でもよくわからないことをモゴモゴ言いながらCDを出そうとしたところ、横からパパ「僕たちにもピアノを弾く息子二人がいるので“長男坊ちゃん“、“次男坊ちゃん“へと書いてサインしてくれますか?」とナイスフォロー。

 

さすが幼少時代からクラシック業界で生き抜いてきたご兄弟。営業力も抜群です。「もちろん!男二人兄弟って最高ですよね!二人は何歳?え、なら僕らみたいだ。デュオで弾いたりしますか?あ、つけてるそのブローチ素敵ですね!」などなど、ご兄弟揃って向こうから気さくな話題を振ってきてくれたそうです。

 

パパもママも、そこからはすっかり近所の気のいいお兄さん達と話してるような気分になり、ご兄弟との会話を楽しませていただいたみたいです。

 

全身麻酔への不安なぞどこへやら。思っていた以上に楽しい時間を過ごすことができたママ。

 

帰りの電車の中で、仲睦まじく兄弟が同じ方向を向いて進んでれているユッセン兄弟の母はなんて幸せ者なのだろう、と、甚だ図々しくも同じ母親の立場を想像しながら、我が坊ちゃん達二人のことにいろいろ想いを馳せていたそうです。

 

が、ふと、

 

・・・っていうか、あの二人は、そもそも親も環境もちゃうやん。

 

という、ごく基本事項を思い出されたようで。

 

坊ちゃん達は、あんな風にはなれんし、ならんし、ならんでええやん。

 

と、我に返られたそうです。

(確かに私も、我が坊ちゃん達があんなに仲良かったら、ちょっと気持ちが悪い気もします。)

 

あの完璧な仲良し兄弟像はあくまで遠い世界のファンタジー

 

分かってはいるけれど、そんなお二人の演奏を生で聴き、実際にお話できたママは、まんざらあのご兄弟の存在が全くのファンタジーでもないような気もしてきて、そのファンタジーと現実世界の曖昧さの中をフワフワと泳いでいるようなうっとりとした時間を数日間過ごされていたご様子。

 

「良い夢見させてもらったぜ!ありがとよ!」とユッセン兄弟に感謝しながら、手術当日ママは、

 

「目が覚めなかったらどうしよう」ではなくて

「手術が終わったら、コンサートで聴いたあの曲をパパと一緒に弾こう」

 

と前向きな気持ちで手術を受けることができたそうです。

 

そして昨日、全身麻酔も手術も、全て順調にことが運び自宅に戻ってこられたママに

心配していた長男坊ちゃんと次男坊ちゃんが尋ねました。

「ママー!どうやった?大丈夫やったん?」

 

ママ、元気にこう答えられていました。

 

「それがな、全身麻酔、面白かったんよ〜。酸素マスクをつけられて深く息吸うように言われて。その数秒後に頭がくらくらしてきたから、どうしよう、どうしよう、目をつぶったった方がいいんかなーって迷ってたら、次の瞬間、"マダム、マダム!無事終わりましたよ!"って起こされた。え?と思ったら、さっきと違う天井が見えて、あれ、ここどこ?って。フワフワ気持ち良かったからもっと寝かしておいて欲しかったくらい。魔法にかかってたみたい!」

 

ーあれあれ?

 

「目が覚めなかったらどうしよう」

「目が覚めたら25年後だったらどうしよう」

 

と、冒頭で悩まれていたお方とはとても思えません。

 

ユッセン兄弟のお母さんも幸せ者ですが、ママだって十分幸せ者だと思いますよ。

 

そんな浮き沈み激しいあなたを受け止めてくれる(もしくは軽くスルーしてくれる)優しいパパと根明の坊ちゃん達に囲まれていて。

 

しかも、あなたには

 

 

こんなに美しい娘もいるのですからね。